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「珠名の森のねむり姫」 第十二章(3)

 高台から見下ろした中学校の校舎は、僕らが通っていたころと何一つ変わっていないように見えた。少し肌寒い風も、時を越えてそのまま吹いてきたみたいだった。
 この場所を指定したのは浜口だった。彼は、ポケットに手を突っ込み、以前のような寂しげな瞳で僕を見つめて、待っていた。
 簡単な挨拶の後、
「お前達が結婚していたって話を聞いた時、なぜだか嬉しかった。自分とは関係がないはずなのに、人生いいこともあるもんだと思えた」
 と、彼は言った。
「お前と早川の話を聞かせてくれよ」
「どこから話したらいいのか、とりとめなく、長い話になるかもしれない」
「それでいい。時間はたっぷりある。思いつくままに話してくれ」
 僕は詩穂と再会してからのことを話した。浜口は時々相槌を打ちながら聞いてくれた。
「話してくれてありがとう」と彼は言った。
「不思議なんだ。詩穂は今でもそばにいるように思えることがある。いつものようにベンチに座って本を読んでいたり、そこの角に隠れていて姿をぱっと現してくれたりするような。それと同時に、夢の中で会った人のように、はじめから実在していなかったように思えてならないこともあるんだ」 
 浜口が飲み物を買ってきてくれた。僕は温かいお茶を飲み、浜口はおしるこを飲んだ。
「俺には、お前の悲しみがよく理解できるとは言えない。俺には大切に想う人も、俺を大切に想う人もいないからだ。お前が感じているほどの喪失感を与えるものが、俺にはない」 
「君は、中学を卒業してからどんな人生を送ってきたの?」
「自分に失望させられてばかりだ。浪人して入った大学を留年して、大学院に進み、やっと就職した。合コンというやつにも出たが、あれは、他人の話を聞きながら残り物のサラダを食う機会だと思うことにした。俺の人生は今のところそんなもんだ」
 彼は溜息をついて続けた。
「だけど、今までうんざりするだけだった仕事が、最近ちょっと面白く思えてきた。そうするとな、少し人生に光が見える。たとえば、今、この仕事を奪われたら、とても辛いと思う。そういう代替物でなら、少しはお前の悲しみを想像できる」
「そうかい」
「まったく、人生っていうのは容赦しないな」
 彼が言う「容赦しない」という言葉が沁みた。人生は、僕らが何を願おうと、奪い去る時にはきっちりと奪っていく。そこに情状酌量はない。
「前橋、あまり無理はするな。まずは呼吸するんだ。吸ったら吐くんだぞ。歩くときは、右足を出したら左足を出すんだ。分かるか」
 彼の真剣な口ぶりに、思わず笑みがこぼれた。
「ああ、分かるよ。ありがとう」
「そうか。とにかく、俺が言いたいことはそれだけだ」 


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