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「珠名の森のねむり姫」 第一章(8)

 翌日も詩穂の病室へ向かおうとしたら、受付で止められてしまった。
「早川さんは眠られています」
 詩穂のいる病室は女性ばかりのため、受付で止められてしまうと入れないのだ。
 僕は談話室で一時間ほど時間を過ごした。本を開き、文字を追っていたら、すぐに時間は過ぎた。
 再び受付に向かったが、まだ眠っているということだった。仕方ないのでその日は帰宅することにした。
 家に着くと、急激に眠くなり、布団に倒れこんだ。詩穂はまだ眠っているのだろうか。同じ夢のなかにいたいと思いながら、眠りについた。
 次の日は、まっすぐ病院に向かわずに、いったん帰宅し、食事やシャワーを済ませてから病院に向かった。結果として、普段より二時間近く遅く病院に着いた。リズムが崩れ、体力的にはキツいが、確実に会えそうな時間帯を選んだ。
 だが、またしても詩穂は眠っていた。もう昼に近い時間だったが、眠っているので会わせられないと言われた。
 廊下を戻りながら、変な印象を受けた。いくらなんでも眠り過ぎじゃないだろうか。そんなに眠っていて、病院側のスケジュールは大丈夫なのだろうか。
 しかし、それ以上考えはまとまらなかった。車を運転しながら、急激に眠たくなってきた。これでは危なかった。まっすぐ帰宅し、布団の中で目を閉じた。何も考えたくない気持ちだった。
 職場でも、いまいち気分が晴れなかった。普段は、休み時間に読書をするのだけれど、本を開く気にすらならなかった。
 工場の中をあてどなく歩いた。すると、隅で体操座りしている人がいた。顔をうずめているので、誰かは分からない。
「大丈夫ですか?」
 と声をかけた。体調が悪いのかもしれないと思ったからだ。
「へ?」
 と言ってその人は顔を上げた。数か月前に派遣社員として入社した、山野麻友だった。
「山野さん、大丈夫?」
「あ、大丈夫です」
 山野麻友は立ち上がったが、少しふらついていた。思わず手を取ると、「すいません」と手をひっこめた。
「ちょっと話そうか?」
 僕は麻友を誘った。
 自販機近くのベンチに麻友を座らせた。お茶とコーヒーを買って麻友に見せると、麻友はお茶を手に取った。
「寝てたんですよ」
 と麻友は言った。「でも、通路で寝ちゃだめですよね。すいません」
「危ないからね。でも、昼寝する場所がないのは困るよね」
 食堂や事務室で寝ている人はいるのだが、男性ばかりなので、麻友は眠りづらいだろう。
「まあ、昼寝したいというより、どこにいたらいいか分からなくて」
「うんうん」
「なんていうか、みんなでご飯食べるのに苦手なんです。その後延々食堂でおしゃべりするのも疲れるというか」
 麻友はお茶を一口飲むと、ため息をついた。
 工場の現場職は男性社員が圧倒的に多い。数少ない女性社員も、ほとんどが年齢が上のパート社員である。麻友と年齢が近い従業員もいるにはいるのだが、僕から見ても麻友とは全然タイプが違い、話は合わなそうである。
「ちょっとついてきて」
 と僕は言った。麻友は、なぜか僕とは並ばず、後ろをついてきた。
 僕は、自分が読書している場所を紹介した。
「ここ、いいでしょ。直接日は当たらないけど十分明るいし、風もほどほどで過ごしやすい」
 麻友は驚いたようだった。
「おおー、こんな場所があったなんて。ちょっと隠れているし狭い感じが逆に落ちつきます」
 麻友は満足そうに座った。それから体を伸ばし、「私、ちっちゃいから横にもなれる!」とかなりテンションが上がっているようであった。
「良かった。それならここを使うといいよ」
「え、でも、前橋さん、使っていたんじゃないですか?」
「僕は読書しているだけだから、どこでもできるよ」
「ええー、そうですか」
 麻友は少し悩んでいたが、「やっぱり前橋さん使ってください。とっちゃうの悪いですよ」と言って、「あと、やっぱ一人だと心細いというか」と付け加えた。
「それなら、僕もここに来るよ。でも、君の邪魔はしない」
「ほんとですか? ありがとうございます!」
 麻友が笑顔で頭を下げた。そういえば、麻友の笑顔を見るのは初めてかもしれないと思った。


#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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