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「珠名の森のねむり姫」 十四歳その1(前)

 十四歳というのは不思議な年齢だ。幼い少年の面影を濃厚に残しつつ、肉体は大人へと羽ばたこうとする。僕には、毎日自分の体が変化していく感覚があった。一日一日は、微細な変化だ。だが、着実に今日の僕は昨日の僕と異なる存在であり、昨日の僕には戻れない。
 他者に対する性的な関心も、もはや日常の一部として確かに存在していた。僕らはそれを恋と呼び、その猛烈な感情を持て余していた。しかし、普段の教室の中では、さほど恋愛に関する雰囲気は表ざたになることはなかった。僕らは恋に熱烈な興味があったが、それと同時に過剰に恐れていた。
 中学二年の時に、僕は図書委員になった。
 初めての委員会の日、図書室へ行くと、数名の生徒が集まっていた。顔は見たことがあるけれど話したことがない子ばかりだった。
 一人のボブカットの子に目を奪われた。目尻の下に小さなほくろがある。
 図書の先生が来て点呼を始めた。
「早川詩穂さん」
 と呼び、彼女が「はい」と言いながら軽く手を挙げかけた。一瞬動きを止めると、早川さんはさっと手を下ろした。うっかり手を挙げてしまったのが恥ずかしかったのだろう。その後彼女は、他の生徒の点呼が終わるまでずっとうつむいていた。
 この日は、簡単な業務の説明で終了した。
 教室に戻ると、浜口が「どうだった?」と声をかけてきた。
浜口は変わったやつだった。奇妙な笑い方をしたり人がぎょっとするようなことを言うので、嫌っている生徒は多かった。だけど、僕は特段嫌悪感は抱かなかった。そのためか、彼は休み時間に僕と話にくることが多かった。
「別に、ただの説明だったよ」
浜口は、じっと僕を見つめると、
「好きな奴でもできたのか」
 と言った。
 あまりにも動揺して絶句してしまった。言い訳も思いつかず、周りに聞こえない様に小さな声で、「ま、まあ、いいなって子はいたよ」とつぶやいた。
「そうか」
 これ以上聞かれたくなかったので、逆に問い返した。
「そういう君は、好きな子はいないのかよ」
「杉田だ」
 浜口は拍子抜けするほどあっさりと言った。なんの照れも恥じらいもなく、知っている回答を口にした。そんな印象だった。
「何かアクション起こさないの?」
「機が熟すのを待っている」
「ふうん」
「よかったな。好きな子ができれば楽しみが増えるだろう」
しばらく僕と浜口は黙って教室を見回した。
 教室内は、終業のホームルームを待つ生徒たちのざわめきで満ちていた。それぞれがしゃべる声が重なりあり、巨大な一つの音と化している。この爆発的なエネルギーを青春というのだろうか。自分が静かにしていると、思いのほか大きなこの音にほとんど慄きさえ覚える。
 浜口が、ぽつりと言った。
「俺にとってはここは牢獄だ。通っている囚人だよ。みんなの青春の三年間は、俺にとっちゃ懲役三年だ」
「なぜそう思うんだ」
「お前も、俺がこの学校で置かれているポジションは理解しているだろう」
 浜口には冷めたところがあった。自分があまり他の生徒からよく思われていないことを理解していて、かつそれを改善するすべはないと諦めていた。
 教師が入ってきて僕たちは静まり返った。無秩序と平伏、それが僕らだった。
 帰り道に自転車をこぎながら早川詩穂のことを考えた。
 話したこともない子を好きになるというのはどういうことだろう。彼女がどういう人なのか、何が好きで何が嫌いか、何も知らない。それなのに、呼吸するのと同じ自然さで、一目見た彼女の横顔が浮かんでくる。
 試しに、浜口が好きな杉田の顔を思い浮かべた。彼女は学校内でも人気がある。はつらつとしているし、笑顔が素敵だ。彼女と一対一で話せと言われたら、ドキドキしてうまく話せないと思う。
 だけど、早川詩穂に対する感情とは別物だ。
 そのまま、学校内で人気のある女子の顔を順番に思い出してみた。杉田と同じだった。まともに話すことはできないだろうけれど、何かがピンとこないのだ。
 歓喜と不安がないまぜになったふわふわした心地だった。明日の自分は今日の自分とは違うけれど、この気持ちは続く。そんな確信があった。


#創作大賞2024  #恋愛小説部門

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