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「珠名の森のねむり姫」 十四歳その1(後)


 火曜日の放課後に、週に一回だけ部室に顔を出す。狭い小部屋の中央にテーブルと椅子がある。部屋の奥に本棚があるが、窓を塞いでしまっているため夕焼けの弱弱しい光さえ遮断されている。そんな風に部屋の大部分を占めているにも関わらず、ほとんど誰も本棚の本を読まない。それが、僕が所属する科学部の部室だ。
 特に科学に興味があるわけではなかった。学校の規則で何らかの部活動に入部しなくてはならないが、運動が苦手のため運動部は除外、音楽にも絵にも苦手意識があるため、消去法でこの部活を選んだ。
 部員は七人で全員男子だ。ほかの子も特別科学が好きというわけではなく、部活動をただだらだらおしゃべりして終わるのが心地よくて選んでいるみたいだった。
 気を使わなくていいという点でこの部活は楽だった。
 一番よく話したのは、若林君という男の子だった。ただ、彼はほかの部員と少し雰囲気が違っていた。僕とほかの五人の部員は、どことなくさえない風体をしていたが、彼は非常に整っていた顔をしており、誰もが認める美少年だった。彼は吹奏楽部に入っており、この科学部と兼部していた。一度、わざわざ兼部しているのかと尋ねると、科学に興味があると答えていた。
 でも、僕は、彼はこの部室に静けさを求めていたのではないかと思っていた。吹奏楽部での彼の姿を遠めに見たことがあるが、女子三人に囲まれていた。いつも通りの笑顔を浮かべていたが、少し疲れているように見えた。咲き誇ることに倦んだ花のようだった。
「前橋君、この本読んだことある?」
 と、若林君が一冊の本をカバンから取り出した。「孤島の鬼」という、江戸川乱歩の小説だった。
「読んだことないよ。面白い?」
「すごく面白いよ。君に読んでもらいたいんだ。貸してもいい?」
「うん。ありがとう」
 彼は本を薦めるときにも「貸してもいい」と遠慮がちに尋ねる人だった。

 詩穂と当番をする日が来た。僕と詩穂は一人分の隙間を空けて座った。
 図書室なので基本的に静かにしていなければならないのだが、受付の男女が談笑している姿はよく見ていた。だから、僕も詩穂と話をするのを楽しみしていた。
 だけど、いざとなると話し掛けることができない。好きな女子と話すということを考えただけで吐きそうなほど緊張してしまう。
 挨拶すらできずにただ座ったまま時間が過ぎていく。
 女子と話をするというのはなんと難しいことなのだろう。
 心の中で嘆いていると、だんだん落ち込んできた。
「前橋君」
 気がつくと、袖を引っ張られていた。近くに詩穂の顔があり、心臓が飛び出そうになる。
「ごめんなさい、端末でエラーが出ているのだけど、理由が分からなくて」
 返却機で本を読み取っているのだが、返却処理ができない状態のようだった。以前自分が返却した時に同じようなエラーが出たことがあった。
「たぶん貸し出し処理自体が上手くいっていなかったんだよ」
 再度貸し出し処理をした後で返却処理をするとエラーは出なくなった。
 詩穂は心からほっとしたように息を吐いた。
「ありがとう。考え事してたんでしょ、話し掛けちゃったね」
 話し掛けられずに悩んでいたとは言えずに、「いや、せっかく同じ委員会なんだからもっと話そうよ」と僕は言った。
「うん」と詩穂はうなずいた。
 しかし、そのタイミングで業務の時間が終わってしまった。業務が終わっても廊下や教室で話してもよかったんだけど、喉がキュッとする感じがして、「じゃ、また」と言うと逃げるように下駄箱に向かってしまった。
 その日は、なんだか気持ちのおさまりがつかなくて、チェーンが引きちぎれるんじゃないかってほど自転車のペダルをこいだ。


#創作大賞2024  #恋愛小説部門

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