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山口百恵と松田聖子

日本歌謡史でアイドルと最初に呼ばれたのは、1971年の南沙織デビューあたりからだと言われている。
その後、トップアイドルは、5年毎に登場した。70年代前半は天地真理、そして後半は山口百恵、1980年代になって前半は松田聖子、後半は中森明菜と続いた。
私には、その姿が源平交代説(源氏と平氏が交代で天下を取るという学説)のように思われてならない。
何だそれは?と思われる方のために、山口百恵と松田聖子をサンプルとして論を展開したいと思う。

多様・多彩とワンパターン

山口百恵は、最初の「青い性」シリーズの頃は似たような歌だったが、阿木燿子・宇崎竜童夫妻が作家として参加してからは、さだまさし、谷村新司、堀内孝雄なども加わり、ツッパリ、和風、フォーク風、お嬢様風など様々な衣装と雰囲気を代わりばんこに見せた。これは、白雪姫をイメージしたドレスを着続けた天地真理のアンチテーゼと言えることだろう。
一方、松田聖子は、いつも非日常的な海辺か高原か街にいて、登場人物は「彼」と自分で、関係は進展しないしプラトニックで、時々別れてしまう、そんなストーリーがあって無いような歌ばかりだった。髪を切ったり、ドレスの長さを変えたりとマイナーチェンジはあるものの、所謂「聖子ちゃん」のイメージを保ち続けた。偉大なるワンパターンと言ってよいだろう。これは、天地真理を代表とする嘗てのアイドルへの回帰とも言える。

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