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笑顔を忘れず、生涯現役!

「生涯現役」というと、人生のベテランのように思われますが私、30代です( *´艸`)
スラングな言い方をすれば、「ペーペーの下っ端」でございます。

ただし、ただの「下っ端」ではなく、発達障害と二次障害である精神障害が頭にペタッとくっついております。ちょうど令和の時代になってから数年後、障害の有無が判明し、障がい者手帳を取得致しました。
大学までは両親と祖父母に行かせて頂き、社会人になって「じゃあ、親&祖父母孝行しようぜ!」と働いてみたらうまくいかず、職を転々とし・・・

そんな、よくある話です。

幼稚園の頃の夢は「薬剤師」でした。
母の腰痛を治すには…と子どもなり安直に考えて(笑)
医師という選択には当時から手に震えもありましたし、先生もずっと生きていると思っておりましたし…(寿命とか退職とかわからなかったのです)
ただ、高校時代の教師に「君には理系は無理だ」と言われ、「先生が言うなら間違いないんだな。」とあっさりあきらめた自分もおりました。

さて、本題です。

「なりたい自分」

私の主治医は75歳を過ぎようとしています。
それでも、患者さんを見続け、激励叱咤しながら、職業人として、プロフェッショナルとして、生きています。「生涯現役」なる新聞記事を見つけてはスクラップし、本を読まないとストレスがたまる私のために「これで、明日からも頑張りましょう」と渡してくれる先生です。感謝しかありません。(主治医自慢です)

転職回数(雇用体系にこだわらず働くということ)がかなり多い私は、「長く同じ場所で働いてみたい」という夢があります。
定年(「もうこの会社に来れない年齢になりましたよー」)を迎えたら、「他のどこかで亡くなる直前まで働いていたい」という夢もあります。

正式に「発達障害ですよー」ってわかったことが本当に3年くらいなので、毎日が試行錯誤中です。(正直に申し上げれば、現在、適応障害による休職中で、退職予定でもあります。(悔しい(._.)))

試行錯誤でもいいです。転んでしまっても、時間を頂ければまた立ち上がって歩きます。
「社会とのつながりを持つ」ことが主治医との大きな約束の一つなのです。私はその方法を「生涯現役で働き続ける」ことしか知りません。

今までは生き急いで、「1か月で即戦力になる」とか考えておりました。
結果「過剰適応による適応障害」で離職しました。(恥ずかしいです)
働くことは好きなので、ある程度お仕事があると幸せです。
お仕事が無くなると、途端に「途方に暮れ落ち込み」ます。

もはや、お仕事をし続けることは、家族も亡くなった祖父母も、そうなので「家系的な性格」といっても間違っていないようにも思います。

人生、100年時代です。
そんなに生きることができるかは定かではありませんが。

10年後の40代半ばには、その職種の「プロフェッショナル」として、笑顔で働いていたいです。

20年後の50代半ばには、次を見据えた生き方をしつつ、私と同じ障がい者の若い子の「後進育成」に関われていたら有難いです。

30年後の60代半ばには、「シニアパート」として、契約更新していただけたら嬉しいな…なんて夢見ております。

40~50年後は正直社会情勢も想像がつきませんが、
「ちょっと変わっているけど、仕事はしてくれるおばちゃん(または、ばあちゃん)」
として、生活に必要なお金を稼ぐことができる「大人」になっていたいです。

息抜きももちろん大切なので、覚えなくてはいけませんが。
趣味の日本文学や歴史を様々な角度から探求できれば楽しいな…なんて思っています。

働くこと、生活すること、社会とのつながりを保ち続けること…
「環境の変化にかなり弱い」私にとっては、ちょっと負担が大きいです。
それでも、誰かの力をお借りしたとしても、
最期を迎えるころ、

「やりきったぜ!」

といえる自分になりたいことだけは確かです。



#なりたい自分


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