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タヒチで運転

四月から大学一年生になった娘は、毎日マイカー(her car?)で通学している。免許をとってすぐの運転は、なかなか怖いらしい。背筋をピンっと伸ばして、慎重にカーブを曲がる。

はて、私は、というと、運転に不慣れなまま突然タヒチに行ったので、運転はこれまた恐ろしい経験だった。右側運転、日本にはあまり普及していない信号代わりのロータリー(ロンポワン)、みんな運動神経良いせいか運転が荒い!さらに制限速度90キロの無料の高速道路では追い越し車線じゃなくても毎日ポルシェカイエンに煽られる。脇道は日本ではありえないほどの細さ、急カーブ、日本昔話でしか見たことのない急な山道、一歩間違えたら転落するガードレールのない崖、ワイパーをどんなに早く動かしても前が見えない滝のような大雨、朝晩の大渋滞でイライラする人たちが鳴らすクラクションの耳障りな騒音…。今思い返しても、良く生きてるな自分、と思う。

そういえば春、免許をとったばかりの娘が、「ママ、タヒチで学校への送り迎えありがとう」と言った。ブァっと涙が出た。不慣れな運転の怖さ、それも外国で、というのがいかに大変なことだったかが娘に響いたらしい。今までの子育ての大変さ、外国暮らしの困難さが、その言葉で本当に報われた。

一方で、運転はそもそも言葉を使わなくて済むので、数年走って道に慣れると、他のどんなことよりも外国人の私でもうまくできることになった。タヒチに住んでいた最後の3年くらいは、配達の仕事もしていたのだけど、時間ぴったりに行ってお客さんに「さすが日本人!」と驚かれたり、巨大なマンゴーの木の下で待ち合わせしたり、お城のようなお屋敷に行ったりしてとても楽しかった。思い返すと、日本で運転しているよりタヒチの運転が楽しかったのは、山と海しかない景色に毎日ハッと驚いて新鮮だったからだろうな。

運転しているだけなのに、タヒチではやたらと人との触れ合いもあった。隣の車がプッとクラクション。チラリと見れば、顔見知りのタヒチ人の女の子が「クックー(ハロー)」とシャカサイン。信号待ちで待っていたら、隣の車の人馴れした犬が愛想振り撒いてきたり。窓越しにマンゴー売りや魚売りとのやりとり。駐車場が狭くて難儀していたら、「どいてっ」とばかりに若い美女がサッと運転を変わってくれたり、行き止まりの道でバックに困っていたら、タヒチ人のおじさんが爆笑しながら運転変わってくれたり、配達先がわからず、電話での説明もチンプンカンプンで困っていたら、そばにいたおばさんが電話代わってくれて、わざわざ自分の車で私を先導してくれたり…。皆さんにお世話になったことをたくさんたくさん思い出す。

タヒチでは辛い、しんどいこともたくさんあった。でも、かけがえのない、ハッとするような人間の根源的な優しさにもたくさん触れた。自分がおばあちゃんになったら、辛いことは全て忘れて、キラキラしていたことだけ覚えていたらいいなと切に思う。


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