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外国で暮らすということ

 それから気づけば10年以上、わたしはタヒチで暮らした。

 外国で暮らすことが、こんなにキツいものだとわたしは知らなかった。住んでいた時は、気づかなかった。いや、気づかないフリをしていたのか。帰ってきた今、痛感している。
 外国に住めば勝手に言葉を覚え、ペラペラになって、友達ができると思っていた。そんなことはない。ただ家で子育てしているだけの主婦は、何もしなければ永遠に話せない。「コンニチハ。コレハナンデスカ?」これしか話せない外国人が、日本で日本人の友達が作れないのと同じだ。皆忙しいのだ。わざわざ話せない人と友人になるほど暇ではない。

 わたしは英語もそんなに話せないまま、突然タヒチに行ったから、本当に苦労した。でも努力もした。母親に送ってもらったフランス語のテキストを何度も何度も読んだ。息子をおんぶして、フランス語のルールを学ぶ。もちろん日本語と全く違う。英語に似ているけれど、女性名詞、男性名詞があるので、物を買うとき、話すとき、これは女?男?と、脳みそがパニックをおこす。例えば、グラスは男だ。『これは一つのグラスです。』教科書にはそう書かれているけど、実際にその文章を使う場面は訪れない。「ねぇ、あれ取って」こういう時の、「あれ」や「これ」を男性名詞や女性名詞に変化させないといけなかったりする。複数のグラスだとまた形が変わったり、語順が変わったりする。日本語にないことばかりで、どうして?と思うことがたくさんあるけど、そういうもの、と飲み込んで、そのまま覚えないと上達しない。たくさんたくさん勉強して、文法を覚え、単語をたくさんたくさん覚えてようやく、少し会話ができる。

 フランス語を話せないことで、周囲の人に自分が馬鹿にされることよりも、話せない自分、おかしな発音の自分を、自分が一番恥じていることが苦しかった。

 言いたいことがフランス語で出てこない。もどかしい。その場で皆が話していることが分からない。ドッと起こる笑い。分かったふりをして、笑う。心が疲弊して、ボーとなる。ふと、周りの人がわたしに気を使って話しかける。心臓がちくっと痛む。皆、優しいのだ。その優しさに心がまた痛くなる。
 夫に救いの手を求め、キョロキョロ探すが、男性陣と一緒にいる夫は、酒を飲み、笑い、妻がその場にいることに苦痛を抱えているなんて全く全然、想像だにしない。

 彼はじきにストレスを溜めた妻にキレられるだろう。自分を非難されたと思った夫は、そんな妻にキレて、二人の関係は拗れていく。

 妻は、ただ、どうしようもなく、パニックになりそうなほど、孤独なのだ。
 
 昔、親戚のパーティーで、クーラーボックスに入った手作りケーキを、当時1歳の息子があやまってクーラーボックスごとひっくり返したことがあった。その場を見ていたのはわたしだけで、慌ててケーキを作った人に謝って、息子が…と拙いフランス語で伝えたつもりが、10年以上経って、その人が「昔、あなたにケーキひっくり返されたよね」と言ってきた。どういうつもりで言ってきたのか分からない。謝って欲しかったのか、ただその場の軽い会話だったのか。10年経ち、わたしも図々しくなって、「あ、あれはわたしじゃなくて、息子が」と言えたけど、あぁ、フランス語を話せないということは、何かあったときに、自分の身も守れないんだなぁと、痛感した。

 そういえばこんなこともあった。まだタヒチに来て2ヶ月くらいの時、家の前の道を歩いていた娘が突然、隣の飼い犬に追いかけられ、お尻をガブリと噛まれた。わたしも娘もフランス語がまだ全然ダメだったので、慌てて駆け込んだ病院で、同行した飼い主は医師に『あの子が突然騒いで、犬をいじめたから噛んだんです』とうそぶいたそうだ。1年後、フランス語が無事ペラペラになった娘は、突然その時の会話を思い出し、「あの時は聞いて意味は分かったけど、フランス語で何も言い返せなかった、悔しい」と泣いた。わたしは、親切そうに心配してくれた隣人が、実はそんなことを言っていたことさえ気づいていなく、苦しくなった。

 本来のわたしは明るく、しっかり者と言われ、一人の時間は好きだけど社交的なこともできる。でも、フランス語を話せないわたしは、外国で自分のアイデンティティを失った。

 夫のいとこには、ハンディキャップの人がいる。耳が聞こえず、知能も低い。タヒチに暮らして数年たって、親戚が集まった時、彼の話題になり、娘が無邪気に尋ねた。『ハンディキャップってなに?』話していた親戚は一瞬戸惑って、それから「耳が聞こえなかったり、目が見えなかったりで、普通の人みたいに働けない人、かな」娘はまた無邪気に「じゃあ、ママはハンディキャップだね」と言った。わたしはドキッとして、思わず目をそらす。でも、耳は澄ませている。チラリとこちらを伺った気配がして、「でも、ママは頑張れば話せるようになるから、違うんじゃない?」…わたし、結構頑張ってるんだけどな。もっと頑張らないといけないのか。
 その夜、夫に、フランス語学校に行きたいと言った。値段を伝えると、夫は目を逸らす。反対とも賛成とも言わない。ただ、浮かない顔をする。高いもんな、勿体無いよな、とわたしは一人合点して、再び一人で勉強をする。永遠に話せない気がする。
 結局、自分で働き始めてから、フランス語を学びに学校に行った。しかし仕事が忙しくなって、行けなくなってしまった。学校はためにもなったけど、テキストに書かれていた「スシ」の発音を何度も直されたのはイラっとした。

スシ、スシ。

わたしはまだ、フランス語でスシと言うことはできない。きっと一生できないだろう。

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