優しさってどういうことなのか? ひとつの考え方
私、若い頃から「優しい」って言われることが多いのですが、言われていると、自分が本当に優しいのか、優しいふりをしているだけなのかわからなくなることがあったんです。
単に、争いごとが好きじゃない、人にものを言うのが好きじゃない、つまりは、ことなかれ主義ってやつなのかもしれない・・・。
優しさについて
noterさんの記事を読みたいと思いつつ、毎日書くことに精いっぱいで、なかなか読めていないのですが、昨日こんな記事をみつけ読んでみました。
この記事の中で
優しさのない人とは、相手ができないことを求める人
この言葉にドキッとしたのです。
優しさってどういうことか、漠然としていたのですが、ひとつの解を見つけたような気持ちになりました。
記事の中で紹介していた例としては、初対面の人になんて呼べばいいか聞いた時に、「好きなように呼んでください」って言われた時のこと。
実際、「好きなように呼んでください」なんて言われたら、なんて呼べばいいかわからなくて困りますよね。
「なんでもいい」というのは、相手に選択権を与えて、自分は考えないってこと。
そして、相手はその選択権をいらない、いや、むしろありがた迷惑って思っているかもしれない、いや、きっとそう。
なんでもいいとか、好きにしていいとか、相手への優しさのつもりで言っていることが、無意識にとる自分にとって都合のよい行動だったりする。
その自分にとって都合のよい行動を、「優しさ」と勘違いしちゃダメ。
それはやっぱり自分のことしか考えていない、つまりは、矢印が自分になっている言葉だから。
相手が悩まないように「〇〇って呼んでください」って具体的に言う方が、相手は楽だと思うんです。
まぁ、あまりにも呼びにくいと、それはそれで困るのですが^^;
身近な人の優しさ
夫との会話でも、夫はよく私に選択権を与えてくれます。
「何、食べようか?」
「なんでもいいよ、あなたは何が食べたいの?」
「どこに行こうか?」
「どこでもいいよ」
夫とは、若い頃からこんな会話が多いので、最近の私は、それならと、自分で決めることが多くなりました。私自身が楽しみたいからです。
(近場でいくなら)ここに行きたいとか、〇〇したいとか、自分がしたいことを決めて、夫に伝えています。だいたいは、「いいよ」と付き合ってくれる夫は、きっと優しいのだと思います(笑)。
夫は、優柔不断なところがあって、自分で決められないと言い、私に判断をゆだねることが多いのです。
もちろん、私も選択権が欲しい時もあるけれど、時には夫に決めてほしいことがあります。特に、夫自身のことは自分で決断してほしい。
私に判断をゆだねる割には、人の意見を聞かなったり、結局は自分の意見を通すことも多い。これじゃぁ、私が判断したのはなんのためなのか、私の時間を返してって思う。
夫婦だって、お互い別人格の人間。
やっぱり意見も違うし、考え方も違う。違いはあって仕方のないものだし、その考えを夫婦としてやっていく時に、時にすり合わせをしないといけないこともある。
30年以上夫婦をやっているのに、まだまだすり合わせが必要なんです。
私も優しくありたい
私の優しさって、争いごとをさける、そしてただ丁寧なだけのものなのかもしれない。本当の意味での優しさではないなぁ・・・って思う。
相手がなにを考えているのか、そういうこともイメージしながら、言葉選びをしていきたい。
そして、相手が選択に困るような問いをしないこと、ふだん何気なく使っている言葉は優しいのかと、自分に問うことからはじめてみたい、そんなことを思いました。
優しさっていろいろあると思うのですが、1つの考え方に気付けたよっていう話でした。
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