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何気ない日々の幸せとは、感じることから

5月も後半となってきました。最初にGWという大型の連休もあり、のんびりできる予定だったのが、いつもより気ぜわしく過ぎる毎日。

50代も半ばになり、いろんなことに力みがなくなってきたのはいいけれど、新しい挑戦に頑張れなくなっている自分もいて、老化の始まりにならないように気をつけなくちゃって思っているところ。

平日は、職場と家の往復しかしておらず、変わり映えのない毎日を送っていますが、そんな中でも、ちょっとした日々の幸せに気付ける自分でいたいなと思うこの頃です。


日常にある幸せ

いつだったか・・・かなり前だったと思うけれど、両学長のYouTubeで言っていた話。すごく印象的で忘れられない話なのですが・・・。

「贅沢な食事を毎日食べていたら、母親が出してくれたスーパーの特上の寿司がひどくまずく感じて、申し訳ない気持ちになった」

そう話しているのを聞いて、そんなこともあるのか・・・と思って。
両学長のお母さんが、息子のためにと、たぶん奮発して特上のお寿司を買ったんだろうなぁ・・・って思ったら、少し切なくなったんですよね。

なんでも、ほどほどが一番なんでしょうね。
特別は時々だからいいのかもしれない。

そういえば、親元を離れ、結婚し、自分でご飯を作らなきゃいけなくなってから、食事を作ってもらえることのありがたさが分かるようになったり、たまの外食が美味しかったり。

たまの贅沢が幸せをくれる感じ、すごく心地よかったりします。

人を羨んだりせず、日常を大切にすることで、ちょっとした出来事に気付いたり、今自分にあるものの大切さがわかるようになるんでしょうね。

今あるものにちゃんと向き合う。

これって、簡単そうでなかなか意識しないと出来ないって思いませんか?

なにか足りないと思った日常

しばらく前まで、私は夫と離れて生活していました。
私が千葉で、夫が富山。

「亭主、元気で留守がいい」

この言葉は、比較的、本質をついていると思っていて、私も、夫がいないことをいいことに、ずいぶん手抜きをし、好き勝手していた面もあった気がします。

それでも、時々ふっと、満たされない気持ちになることがあって、それは、やはり一緒にいるはずの夫が近くにいないからなのかなって思ったりしたこともありました。

一緒にいれば一緒にいたで、腹の立つことばかり、喧嘩ばっかりだったりしますけどね(笑)

要は、ないものねだりってことでしょうか。

今あることの幸せを感じてみよう

「幸せになりたい」って誰もが思うこと。

でも、幸せってなんなんでしょうね。

50代になると、喪失感を感じる事も多くなってきます。子どもが手が離れ、自分と向き合う時間になりますし。

年齢的にも、中途半端ですからね。高齢者ではないし、若いわけではないし。何かを始めるには少し遅い年齢かもしれないし、そうでないかもしれない。

身体にガタを感じるのも、50代になってからかな。
今朝、起きたら太ももの裏側が痛くて、思い当たることもないものだから、なんだかなぁ・・・と思ったり。
人の名前が出てこないとか、記憶もあいまいだったり。

でも、年齢は変えられないし、老化は止められない。
ぐちを言っても変わらない。

ならば、どうするか。

きっと、みんな等しく幸せが来ているはず(と、勝手に思っている)。
だから、自分が受け取れているかどうかじゃないかな?って思ったり。

だから、自分の周りの幸せを探してみよう、アンテナを張ってみよう。

自分の周りの人に感謝する気持ちを持っていこう。

自分が好きだと思うことをしていこう。
好きだと思うものを持ってみよう。

そんな小さな事を少しづつして、小さな幸せを感じていくことが出来たら、幸せに生きていくことができるかな。


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