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ふたり暮らし

 自分の今の気持ちを全てさらけ出すつもりで書きたいと思う。単刀直入に言って、最近僕は寂しさと孤独感に押しつぶされそうになっている。今回はこの2つがテーマだ。彼女ができる前よりも寂しさは増している。「おいおいまた彼女の話かよ」と思ったそこのあなた、惚気については書かないのでご安心を。彼女と付き合う前は、自分のやりたい勉強と筋トレに勤しんでいた。だから、寂しさが生まれなかったのだと思う。じゃあその2つに今すぐ取り組めば良いじゃないかとも思える。だが、話は簡単ではない。筋トレをしようものなら、彼女から良く見られたいという欲望がつきまとい、目的が自分のためではなく彼女に向いてしまう。勉強の方も同じだ。この目的を達成すれば彼女から尊敬される存在になれるだろうという思いがうまれる。これもまた、目線が自分に向いていない。そこで自分は、この問題は別れることで解決するとも考えた。それは嫌である。嫌に決まっている。これだけ好きなのになぜ別れなければいけないのだ。このぐらい惚気は許して欲しい。 

と、ここまで書いたところで、彼女からLINEが来た。では続きを書きます。別れるという選択肢を取らずに、孤独感を消す方法はないのだろうか。答えはある。勉強と筋トレを本格的に再開することだ。ただ、それだけなのだ。そして目的を彼女に向けるのではなく、自分に向ける。この2つに注意することで、寂しさ・孤独感は消え去っていくと考える。題名を「2人暮らし」にしたのは誰かしらと一緒にいたいからだ。1人で部屋にいるのはやはり寂しい。もっと自分に目を向けるべきなのだ。最近は寂しさを埋めようと予定を詰め詰めにしてしまっている。これで寂しさが解消されないということは、適切な処置ではないということだ。今度、1日中誰とも連絡を足らずに過ごしてみようと思う。果たして寂しさがり屋の自分にできるのかという疑問符が付くが、やってみる価値はあると思う。ということで、長々と今の自分を書き連ねてみました。真面目パートはここまでだ。今からおふざけパートに入ろうと思う。自分でハードルを上げているが、引き続き読んでくれたら嬉しい。

題名にもあるように「ふたり暮らし」したいという思いがある。猛烈に。まあ、相手は言わなくてもわかるだろう。ただ現実には実現しえないことはわかっている。あくまで想像の内にとどめておく。「ふたり暮らし」いわゆる同棲というやつだが、最近そのような「同棲」ごっこをしている輩がいる。文学部の友だ。「ごっこ」と書いたのは、毎日ではないが、ある程度の頻度で、学校から家が近いために気軽に家に寄れるという利点を活かし、お忍びで逢瀬を重ねている。と書いたが、これに関しては自分もしていることであった。ただ家と学校が目と鼻の先にあるため、学校のチャイムが鳴り止まぬうちに家に突撃できる点は良い。続けざまに突撃を繰り返し、空きコマで2回戦はおろか決勝戦まで駒を進めることになるだろう。そうなれば空きコマが終わって授業を受ける気すら起こらないだろう。起きるのは自分の立派な息子さんだけだろう。そろそろ次の返信が来ても良い頃だが来ないので、続けようと思う。

そのように決勝戦まで駒を進めてしまったせいで授業を飛ぶことに対して、罪悪感を覚えるのは想像に難くない。だがそれと同時に、あるいはそれよりも先に授業を飛んだことへ興奮も感じるのではないか。全ての意識が互いに向いている状態になる。授業なんか、はたまた食事なんかどうでもよくなり、全ての意識が自分に向けられているのだ。家の外には帳が張られているだろう。もうなにも侵入できないし、開放もできない。1日ぐらいはそのような日があってもいいと思う。「花束みたいな恋をした」でもそのような一幕があった。「学校をさぼって彼女と1日中家にいた」と。たった1日の出来事に過ぎないかもしれないが、思い出として長年残り続けるだろう。自分はロマンチストなのだろうか。映画に憧れを持ちすぎなのか。「深夜に彼女とコンビニに行く」ことをもはやイベントとして捉えている。違う。流れで行くからそれが思い出になるのだ。「よし!コンビニに行くぞ!」と意気込んでコンビニに行くのは、なんか違う気がする。そんなことは、○○○専に任せておけばよい。多分もう返信がくるのは明日の朝かな。気にするな、気にするな。書き続けろ。

 ただ、夜に返信がこないには、どうにも寂しい。でもよくよく考えてみろ。返信がこないから何だというのだ。相手には相手の時間が流れている。自分には自分の時間が流れているはずだ。しかし今の自分は、相手の時間に流れを無理矢理自分の物と合わせようとしすぎている。彼女といっても所詮は他人なのだ。会っている時は、もちろん相手の時間の流れと自分の時間の流れがぴったりと重なっている。バイバイをしたその瞬間から、互いの時間の流れは枝分かれしていくのだ。それを無理矢理繋ぎ合わせるなんて、不可能な話だ。自分の時間の流れに磨きをかけるのがやるべき事なのだ。返信がこないという理由で、書き始めた「ふたり暮らし」。やっと終盤に差し掛かってきた。ラストスパートだ。

 「ふたり暮らし」と言ってしまったので、それに準ずる形で締めくくろうと思う。「ふたり暮らし」。僕の理想である。ただその夢を達成してしまうと、幸せのハードルが一段と上がってしまう気がする。そのような事態は避けたい。幸福度は年収1200万程度で高止まりするという話を聞いたことがある。それと同じである。理想は理想のままにしおくのが幸せなのだ。多くを求めすぎない。理想を追及しすぎない。Mr. Childrenの「くるみ」ではこうう唄われている。
「希望の数だけ失望は増える それでも明日に胸は震える」
ここに寂しさを無くすためのヒントがある。「深夜に彼女とコンビニに行く」のがエモいと言われるようになったのも、皆が理想を追い求めず日常的な場面に最大限の幸せを求めるようになったからではないだろうか。理想を夢見ずに過ごすことで失望する回数を減らし、自分の時間の流れを確固たるものにしていく。この文章を書いたおかげで、寂しさに立ち向かう武器が揃った気がする。最後に1つ言うことがあるとすれば、1時間しか休憩をしなかったため、あらゆる手順を手短に行おうとして、性的興奮を最大限に感じることができなかったことだ。自分のせっかちも相まって余計に焦ってしまった。またの辺りの話は追い追い書こうと思ったが、彼女の気持ちを憂慮してやめてこう。次回は、過去の自分の紆余曲折したことについて書こうと思う。彼女ができた今、あの苦い経験を風化させないためにも書く意義は十分にある。失敗談のオンパレードなので、思う存分嘲笑して欲しい。その経験があってこその今だ。それではまた。

 ここまで書いたのに結局返信は来なかった。
                                      (終)

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