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【小説】見覚えのない写真  7,8

7.行けない町と完成しない町

 昨日の夜、写真を見返してみたのだが、思った通り踏切の向こうには川と学校と住宅街と団地が広がっていた。
 だからといって、それが踏切のむこうの町かどうかはわからない。なにせ、あの町に行けたのはあのとき一度だけだったからだ。あれからなんども夜が明けるころに家を出てみたのだけれど、ナレーションは聞こえないし、早起きの住民(もちろん大人)が犬を連れてでかい声で犬と話しながら歩いていたし、ふつうに車も走っていた。
 家は新しいものもあれば、古いのもあった。団地も建っていた。ただ、あのときに見た団地とはすこし違っていた。というか、もうよく覚えていない。人が出てこないか見ていたら、通りがかった人にじろじろ見られたのでなんていうことのない顔で歩き出した。川には亀がいた。学校は夏休み。

 キッチンテーブルに、醤油さしが出しっぱなしになっている。その横には半分水の残ったコップの水蒸気が小さな水たまりをつくっている。渋滞が起きそう。隅田川にはいくつ橋がかかっている?いつまでたっても頭の中に、道ができあがらない。


8. その首都高なら、めちゃくちゃです

「小野さんのデスクはいつも散らかってるんだよ」
 ドライブルートの最終打ち合わせだった。三人はめずらしく、そろってナポリタンを食べている。
「そうなの?小野さんって、整理整頓好きなのかと思ったよ」
「そんなことないよねー。引っ越しの片づけだってなかなかすすまないんだもんね」
「片づいてますよー。それにあれは、高速道路に見立ててるんです」
 制服のうえにエプロンをつけた店員さんが、空になった皿を回収しにきた。
「私の机の首都高はいつでも渋滞して、荷物が散らかってて、ドライバーは運転を放棄して、空からそれを鳥が見てるんです」
「ふうん。そこから何が見えるんだ?」と、ナズ穂さん。
「丸と傍線の、点々ライトの時計のビルかな?」
「あ、それ、有明にあるやつ。あれって、どうやって読むのかわかんないんだよなあ」
 佐伯さんがスマホで調べようとしていたところに、さっきの店員さんがアイスコーヒーを運んできてくれる。
「高速から見えるラブホの名前って、へんだと思いませんか?」
「子供のころはあれがお城だと思ってた。親にあそこに泊まりたいって行ったらへんな顔してた」
「先輩らしい話だ、それ」
 それから三人で、高速から見える景色を知っている限り言い合った。
「ビールのビルがある」
「富士通の看板見たことがあるけど、あれ、昔かな」
「ぺんてる、ない?」
「東京タワーはあるな」
「それなら、スカイツリーも」
「レインボーブリッジはぜったい」
「味の素のビルはどうでしょうか」
「富士山」
「晴れてたらな」
「赤白のトーテンポールみたいなやつ、あれなんですか」
「さあ?」
「緑の看板」
「なんだそれ、表示板のことか」
「空」
「空はどっからだって見えるでしょ」
「雲!」
「ならば、太陽」
「隅田川…」

 それからしばらく三人は黙ってアイスコーヒーをすする。ナズ穂さんが、ふと口を開いた。
「考えてみたら、日曜日ならジャンクションも空いてるかもしれないなあ」
「え、でも私は混んでるほうが…」
「またまた小野さん、運転しない人はそういうことを言うんだから」
「あ、でも、ドライブの話をしてから、夢のなかで車の運転をするようになりましたよ」
「夢で?」
「その車はすごくゆっくりなんです。歩いてるおじいさんくらいに。だからそこらじゅう渋滞してて」
「そこからどんな景色が見える?」
 佐伯さんが聞いた。その瞳の中に、小野は小さな黒子を見つけようとしたが、なぜだか今日は見つけられない。
「遠くに空港が見えます…。昼だけど、ネオンが一文字づつ出たり消えたりしてて、それから三角形の屋根のへんなビルがあって、空を飛行機が飛んでました」
 むちゃくちゃだー、とナズ穂さんが言った。

 テーブルに置かれた紙ナプキンに、トラックのタイヤがつくった車輪のあとがついていた。砂糖入れに乗っている若い運転手は横柄だった。ミルクピッチャーに乗ったおばさんが、襟を立てたジャケットを着てこっちをちらりと見た。私たち三人は、ドライブインで砂糖とミルクをいいだけ入れたコーヒーを飲む気がする。

 それからプリン・ア・ラ・モードを食べようとナズ穂さんが言ったので、私と佐伯さんがそろってホットケーキを注文した。
 窓の向こうに、ネオンがまたたいている。

最終回に

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