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【ショートショート】罰待合室

 罰を受けることになった私は、「罰待合室」に入れられた。
 誰かが廊下を歩いてくる足音が聞こえる。あれは看守だろうか。カツコツカツコツ。灰色の床に足音が響く。やがて、私のいる待合室の前で止まった。ついに罰を受ける時がきたらしい。震える手を、拳を握りしめることで抑え込んだ。

 しかし、グレーの帽子を被った看守が口にした言葉は、私の予想を裏切った。
「罰までだいぶ時間がある。悪いがもう少し待ってくれ。これでも読んでいるといい」
 看守は、小さな木戸から分厚い本を差しこんできた。
「本なんて、とても読む気になれないですよ」
 そう言おうとして口をつぐんだ。看守の機嫌を損ねると、罰が重くなるかもしれない。
「面目ない」

 看守は去っていった。パイプ椅子に腰を下ろし、本を開いた。数ページ目に人が殺された。気づくと、無我夢中でストーリーを追いかけていた。
 こいつが犯人だろうか、いやあいつも怪しいな…。
 残りは数ページ。いまだに犯人の目星もついていない。看守がやってくるまでに、なんとか読み終えたいと先を急ぎながら、笑ってしまいそうになった。罰待合室に入れられた自分が、必死になって殺人犯を捜しているなんて、皮肉な話だ。

 そのとき、がらがらという車輪が廊下をこするような音がした。自分を乗せていくためのストレッチャーだろうか。死刑になるのか。いや、そんな大それたことはやっていない。ちゃちな窃盗だ。
 ストレッチャーだと思ったのは配膳用の台車で、そこにはどんぶりと湯飲みが置かれていた。

「カツ丼だよ。定番だがね」
「食欲なんてとてもありませんよ」
 うっかり口答えしてしまったが、看守は何も言わず丼と湯呑みを差し入れてきた。
「さきほどの本は回収する」
「えっ。あと少しで読み終わるのですが」
「規則なんだ。悪いが、まだ当分罰は受けられない」
 仕方なく本を差し出した。茶を啜ると、ほどよい温度と懐かしい香ばしさにぱちりと目が開く思いがする。最近ろくなものを食べていなかったんだ。どんぶりの蓋を開けて、カツ丼を口に運ぶ。肉は分厚くて柔らかく、濃い汁には出汁がしっかりと効いている。罰のことも、さっきの犯人のことも忘れて齧りつく。貧乏性の癖が出て、最後の肉の一切れを残しておいた。茶を啜り、いざ最後のカツにとりかかろうとしたそのとき、またしても看守が現れた。

「食事の時間は終わりだ」
「あと一口なんですが」
「規則だ」
 むなしく、カツは取り上げられてしまった。こんなことなら、とっておくんじゃなかったとうなだれた耳に、音楽が流れてきた。それは自分が子供のころに、聴いていた子守唄だ。小さくくちずさむと、涙がこぼれてくる。最後の一節が流れるその前に、音楽は消えてしまった。
 なんなんだ。そんなところでやめられたら、気持ち悪いじゃないか。
 いや、待てよ?もしかしたら、これが罰ということなのか。犯人のわからない推理小説、最後の一切れが食べられないカツ丼、途切れる音楽。
 
 またしても、看守の足音がする。次はいったいなんだろう。答えのわからないなぞなぞか、結果の出ない試合か。
「出ろ」
「次はなんの罰ですか」
「何を言ってる、まだ罰は下されていないぞ」
「では、今までのあれは何だったんです」
「何だったも何もない。罰は中止になった」
「中止、ということは無罪放免ですか」
「それはどうかな。また、今度だ」

 看守はそれ以上問いかけることを許さず、私はまばゆい太陽の下に放り出されてしまう。
 開放されて、最初に向かったのは本屋だった。犯人のわからなかった本を探すと、私は立ち読みもせず、もちろん窃盗もせずにその本を買い、帰りの電車の中で最後のページを開いた。だが犯人がわかってみると、あっけない。
 カツ丼は食べる気がしなかったので、ラーメン屋に入り最後の汁まで飲み干してやったが、そもそも腹があまり空いていなかったので苦しくなってしまった。でかい声であの歌を歌う。まわりにいた人たちは、驚きもせず知らん顔で通り過ぎて行く。

 罰はまた下されるのだろうか。また呼び出しをくらうのかもしれないし、どこかで監視されているかもしれない。

 今日、レコード屋でカセットテープを一本盗んだ。店員から見えるようにやったので、すぐにつかまった。逮捕されてあの部屋に入れられた。「罰待合室」だ。
 看守の足音がする。

「出ろ」
 まだ何も起きていないのに?
「この椅子に座れ」
「これは、なんですか」
「電気椅子だよ」
「そんな、私はテープを一本くすねただけなんですよ」
「お前が望んだことだよ」
「やめてくれ」
 そう叫ぶ間もなく、電流が流れ始めた…。
 
 目が覚めると、両足がしびれていた。どうやら、椅子に座ったまま眠っていたようだ。ひどい夢だったが、生きている。よかった。もう、罰のことはきっぱり忘れてしまおう。

 あれから百年が過ぎた。
 私はまだ生きている。
 今年で百四十歳だ。もう年上の人間は一人もいない。いちばん近い年の奴が四国に住んでいるらしいが、ずっと年下だ。この年になってもまだ、あの罰のことが忘れられずにいる。罰はまだ下されていないのか。それとも、とっくに終わっているのか。
 
 それがわからない限り、人生は終わりそうもない。


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