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【小説】ハッピーアイスクリーム・⑧主語というやつは

怖い話って、最後まできちんと書けたためしがないんです。

ハッピーアイスクリーム、あともう少しだけ。

 

 ちょっと買い出しに行ってくると店長が言い残して出かけてから、もう四十分以上経っている。
 店じまいした後で新作メニューを作っていることは、時給を倍にしてもらったから構わないのだけれど、せっかくのハヤシライスを味見してくれる人がいないのでは意味がない。
 スマホを持っているだけでほとんど見ない店長なので、先に帰りますと書置きでも残そうかと考えながら後片付けをしていると、ドアノブが回されるがちゃがちゃという音がした。また鍵を持たないで出かけたんですかと頭のなかでセリフを言いながら玄関に近づいて行くと、ガラス扉の向うにいたのは店長ではなく、バイトの葛飾さんだった。
 ドアを開けてやりながら、どうしたのと声をかけて中に入れると、葛飾さんはなんだか疲れた様子で、すみません残業中ですよね、としきりにあやまりながら、滑り込むようにして店の中に入ってきた。
「べつにいいよ、こっちも帰るところだったし。忘れ物?」
「いえ、実は聞きたいことがあって」
「店長なら、今出かけてるけど」
 葛飾さんは首を横に振った。
「もしかして、あたしに用だった?」
「すみません。帰るとこなんですよね」
「いや、店長が出かけて戻ってこないから味見してもらえないんだ。ハヤシライス作ったんだけど、よかったら、葛飾さん食べる?」
「自分でいいんですか」
「もちろん」
 真面目な顔でハヤシライスを食べている葛飾さんを見ながら、店長は戻ってこないし、この子は家に帰らないんじゃないだろうか、という気がしてきた。もしそうなら、自分はここに朝までいるしかないのだが。休憩室にソファはあるから、自分は椅子を並べて寝るか。それとも自分の家に連れて帰るか。
「味、どうだった?」
「むちゃうまかったです。具体的にどうって言えないですけど」
「じゅうぶんだよ、それで。で、聞きたいことってなに?」
「あんまり、たいしたことじゃないんですけど」
 口の中に残ったものを飲みこむと、葛飾さんは話し始めたのだが、それがなんともとりとめがなく、途中から自分がそこにいないような気がしてきたほどだった。
 
 さっき変な動画とか見てたからだと思うんですけど、気になっちゃって。
 あんまりそういうの見すぎるのって、良くないですよね。その人の動画って、誰も見てないから怖いんです。前は世界史とかそんな話してたんですけど、最近微妙に怖い話するんですよ。この世でたった一人、自分しか見てないかもしれない動画だから、すごく怖いんです。
 あ、それはいいんです。聞きたいのはそのことじゃなくて、このまえ、ハッピーアイスクリームの話したじゃないですか。覚えてます?ほら、口裂け女の話したときに。あ、なんか今笑ってます?笑ってないですか。そうですか。
 ハッピーアイスクリームって、もともとは二人の人間が同時に何かを言うのを忌避?避ける?なんか縁起がよくない的なあれで始まったらしくて。昔は双子もかたほうを川に流したりしたって言いますけど。双子は体が弱くなるとかそういうのがあったかもですけど、やっぱり何かが二つ同時だから怖いのかなあ。それよりハッピーアイスクリームって、呪いの意味とかないですかね。ネットで調べたけどわからなくて。
 誰かがハッピーアイスクリームって叫んでるのを聞いたときに、呪いのことを思い出したらしいんですけど。それをどこで聞いたのか、まるで思い出せないし、調べたくもないとかいうんですよ。
 なんか変ですけど、聞いたことないのに聞いた途端に思い出すとか、ハッピーアイスクリーム全盛期の人ならわかるかなって、思ったんですよね。呪いのこと。知ってますか、ハッピーアイスクリームが呪いの言葉だったって話なんですけど知ってますか?
 
 とまあ、こんなふうに葛飾さんはまくしたてた。さあ、それは聞いたことないけどなんだろうねなんて答えながら、店長、はやく帰ってきてくださいよって願う。葛飾さんはシフトに入る回数が多いから、店長の次に長い時間一緒にいるけれど、今どきの女子高生はこんなにさばけているものなのかといつも思っていたのに。
 それから葛飾さんは急に我に返ったようになって、すみませんさっき家でちょっと変なことがあって、と言いだした。
「疲れてるんじゃないの?受験勉強とか」
「そうですよね、なんか変な夢見て」
「どんな?」
「や、覚えてないんですけど」
「なんかあったかいものでも飲む?紅茶とか」
「すみません、大丈夫です。ハヤシライスおいしかったです。うちの母親は料理が下手なわけじゃないけど、二十年前のまじめな料理本に書いてあるようなものしか作らないから。隠し味だったり、手抜きだったり、牛肉が豚肉になってたり、きのこがなすになってたりとかそういうの、許せないみたいで、もう本当にそう言うものしか食べたことないんで」
「それはそれで偉いと思うけどなあ。自分はレシピとか見るの苦手だから」
「でも、美味しいです。あの、…さん…」
 と言った、葛飾さんの言葉に急にノイズが走ったみたいになった。
「なに…」
「〇〇さん。え?○○ってあたし…何言ってんだろう、でも○○しか言えない。えっと名前が出てこなくなっちゃった」
「いいよ、そんなの」
「でも、こんなにお世話になってるのにひどいですよ」
「いいから」
「Sさん」
「え」
「Sさんってなんですかそれ。いや自分が言ったんですよね」
 葛飾さんはびっくりしたような顔をして、立ちあがった。帰りますほんとすみませんと言いながら送って行くと言うのも振り切って、唐突に出て行ってしまった。
 なに、Sって。それ何。私の名前は。そう言えば、私はなんて名前。
 自分でもわからない。

ハッピーアイスクリーム ⑨に続く

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