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なぜ素直な気持ちが出せないのか

僭越ではありますが、私も多少ではありますがソーシャルネットワークを活用して自分の人生観や活動記録などを、写真や文章などで公開をしています。特に現在は外国滞在中でホームステイをしながら語学学校に通っている状態でもありますから、悪戦苦闘をしている状態や、当地の様子や観光記録などを掲載しています。

私は常々思うのですが、周囲の人はこういった情報の公開をあまり良く思っていない人が多い感じがしています。要するに、ある種の妬みのような意識で私の記事を読んでいる人が多い感じがしています。こんな高齢で全く身寄りのない外国に単身で出向き、英語を話せるわけでもなく、言葉も全く通じない環境で長期間滞在するという経験は、誰もが経験することではありません。たまたま私は、そんな機会を得ることが出来て、自分で実行する決断をしたわけで、それを他人が妬ましく思っているようなのです。

私の自意識が過剰な面はありますが、こんな私の人生を心から良いことだと見守って応援してくれるような人は希薄だと感じます。私は皆から見守って応援してほしいと思っているほど自惚れているわけではありません。私が言いたいのは、他人を妬む必要がどこにあるのか問いたいだけです。

他人を羨むのは自分にもそうしたい願望があるからです。人によって実現が可能かどうかの個人差はあると思います。しかしそんなことはお互い様です。誰にだってできることとできないことは存在します。なのにできる他人を見て羨ましく思い妬むのです。そういう潜在意識がある人は表面に出てくる態度が違います。

自分に実現できないことで他人を羨ましく思って他人を妬んでも仕方のないことです。自分にはできない夢を叶えてくれている人を、心から見守ったり応援するという気持ちがなぜ持てないのだろうかと思えてなりません。

私の掲載記事に対して、中には心から見守って応援してくださる人も存在します。心からそういう気持ちを表現してくださる人も存在します。そういう人の表現やその人の気持ちを感じればありがたいし感謝をしたくなります。そこに本当の人と人との繋がりがあるように思うのです。

自分にできなくて他人にできているものは妬むものではなく応援するものなのです。プロのスポーツ試合を観戦して応援することと同じなのです。プロのスポーツ選手を羨ましがって妬みはしないではないですか。

身近な人間関係でも同じなのです。自分にできないことをやっている他人を見たら、自分にできないことをやっているのですから見守って応援してあげることが大切なのです。そしてその気持ちを何らかの方法で表現してみてください。とても素晴らしく温かい人と人との心のつながりが出来上がるはずです。

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