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人は世界を見たいようにしか見ない

最近、色々なYouTubeやnote、本を見て読んで、そこで得て頭をめぐっているワードが、直後にシンクロすることが多い。
読んでいた本に書いてあったことと同じ言葉を、YouTubeでも話ていたり、
朝職場で「奇跡の脳」を読み始めて、頭が、脳、脳、脳、、となっていたら、上司が楽しそうに「脳みそ無いんじゃないの!?笑」というやりとりをしながら事務所に入ってきた。つい、”脳”に反応してしまった。
シンクロだ!と気づいた瞬間、面白く、楽しいと思う。

最近よく思うのは、
人は世界を見たいように見ている。見たいようにしか見ない。
ということ。
あやとりりいさんの記事を読んで、昨日から今日にかけてそんなことを思いふけっていた。
あやとりりいさんの言葉の重み、気持ちの強さ(って表現で正しいのかな)を感じました。素敵な記事に出会えて感謝です。

人の評価は自分の価値とイコールにはならない。参考程度でしかない。
もちろん、外からの見え方を知ることは大事だと思うし、自分が悪かったとか、自分が変えたいと思っていることであれば受け取って自分のものとして吸収すればいい。
でも、色眼鏡で偏った見方をした評価なら、その言葉を信じ受け取ることで自分を否定する必要は全然ないよなあ。
その人の為に傷つく必要もないよなあ。

他のかたの記事に書いてあったこと。
自分にとって「嫌い」と思う相手も、他の人にとっては「好きな人」「善い人」であると。
確かにな~と思った。
元彼との別れの経緯を聞いた友達の中には、彼をとてもひどい人だと、そんなやつやめとけ!という人もいれば、彼なりのやさしさだったんだねと彼の判断や行動に一定の理解を示し、私と彼の両方に心を寄せてくれる人もいた。

職場には、常に文句垂れ流しの先輩がいる。
その先輩もこれまでの人生色々あったのだろう。だから外に色々と言いたくなる気持ちが出てくるのかもしれない。(知らんけど)
先輩に起こるいろいろを見てると、だからそういうことが降ってくるんだろうなと思わずにはいられなかったりする。
見ててイライラするならそこに思考を向けなきゃいいのに。スルーすればいいのに。もっと違った捉え方したら平和なのにな~。と愚痴や文句を垂れ流すのを見聞きしているといつも思う。
なんだか大変そうですなあ、と他人事で心の中で思いスルーするようにしている。
捉え方ひとつで、運がよくも悪くもなるなと、先輩を見ていて思う。

話を戻すと、捉え方はいくらでもあるのに、狭い視野でしかみれない人もたくさんいる。人によってどう見るかは違ってくるから、信じたいと思える人の言葉を信じていたい。自分自身のことも、自分の言葉も。

もちろん逆も言えることで。
別の先輩は、今朝やたら咳をしていた。コロナか!?インフルか!?とかやっぱりまだ敏感に反応してしまいがちだけど、よく考えたら季節柄、花粉症かもしれない。だから咳が出るのかもしれない。実際先輩は花粉症だ。
花粉症の人が見たら、この人も花粉症かなと一瞬で判断ができるだろうが、
花粉症でない人だったらすぐ「花粉症かも」とは考えず、風邪か!?コロナか!?と考えて「うわー。」と相手を見てしまう可能性もある。

私が見たいように世界を見る中に、あらゆる可能性があることを忘れずにいたいと思う。