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【小説】プラットフォーム

夕日の名所であるこの場所が夜景の名所であることを知る人は少ない。だから日没時には湖に沈む夕日を撮影するにわかカメラマンでごった返しても、夜が空が覆う時間帯にはほとんど人がいなくなる。今この時も近くでスケートボードに興じる高校生くらいの少年達以外は、時折通り過ぎる市民ランナーくらいしかいない。だから良い。誰にも見られずに自分を取り戻すことができるから。私は遠くに見える街明かりを見つめていた。

つい1時間前、私は3年付き合った彼氏に別れを告げた。「仕事に専念したい」と言って。彼は安堵したように、でもほんの少しだけ寂しそうに「ごめん」と言った。どうやら気づいたらしい。私の強がりに。本当は彼の望む言葉を言ってあげられれば良かったけど、私には言えなかった。
「他に好きな人ができた」
この嘘だけはどうしても言えなかった。

運命の恋なんて絵空事だと思っていた。目と目が合った瞬間恋に落ちるなんて、映画や小説の中だけのことだと思っていた。でも起きてしまった。私にではなく彼の方に。彼女と出会った瞬間、彼と彼女は恋に落ちた。二人は会うたびに惹かれ合っていった。そのうち私に隠れて二人で会うようになった。分かっていたけど私には止められなかった。二人の仲が深まっていくスピードがあまりに早くて私にはついていけなかった。それでも私と会っているとき、彼は私に優しかった。時々苦し気な顔をすることがあったけど。優しい人だから。優しくて弱い人だから、私に別れを告げて彼女のところへ行く勇気がなかったようだ。私といても心がどこかに行ってしまったような彼と一緒にいることに、私が耐えられなくなった。だから私から別れを告げた。3年間一緒にいて、一時は結婚することも考えた彼のために。でも・・・。

「どうすれば良かったのかな・・・。」
今更ながら別れを告げたことを後悔し始めている。本当は別れたくなかった。どんなに惨めになってもいいから縋り付いて懇願すれば良かったのだろうか。「彼女を見ないで。私だけを見ていて。」と言って。
分かっている。結局はこの結末を迎えることを。キレイに別れられるか、泥沼の修羅場になるかの違いはあるだろうが。
運命の恋の前ではどんなに近しい人でも傍観者になってしまう。どんなに強く想っても、心から愛したとしても、運命の恋に対しては何の効力もない。今回の事でそれを思い知らされた。

湖から優しい風が吹いてきた。私は大きく深呼吸をした。その瞬間だった。私の後ろをゴーっという音が通過していった。まるで大型車か列車が通過したような感じだった。だけどそんなはずはない。国道沿いではあるが車道は結構離れているし、線路からはもっと離れている。では今のは・・・?音が通り過ぎた方に目を向ける。足元に点々と埋め込まれたLEDがその向こうの街灯とつながり、まるで線路のように続いていた。

次の瞬間気が付いた。深呼吸と同時に込み上げていたものが私の中から消えていたことに。後悔する気持ちは残っていたけれど、それ以上にほっとしている自分にも。ああ、そうか。私は乗ったんだ。彼と別れて次へ進む列車に。行き先はわからない。何が待っているのかも。でも自分の決断を信じて進んでいくしかない。私はしばらく光の線路を見つめていたが、湖の風に背中を押されるようにゆっくりとその場を離れた。

「そういえば私、泣きに来たんだよね。人がいないから思いっきり泣けると思ったんだよね。でも泣けなかった。泣けなかったよ。」

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