自分らしいという事
もはや言い尽くされて、お腹いっぱいという方もおられると思いますが、結局大切な事は世界単位でも、個人単位でも繰り返されるし、どのタイミングでそれに触れるかこそ、人によってばらばらなのでこんな事を書くわけです。
テーマは「自分らしさ」。
人は皆死ぬ、と言う当たり前のことに、時々でも思いを馳せることは必要です。
古代から伝わる「memento mori(メメント・モリ)」という有名な言葉をご存知でしょうか。
死を想え
直訳すると少々物騒にも感じられますが、本来は、「今を楽しめ」という意味合いが強いようです。
食べて、飲んで、今このときを楽しもう!
だって私たちの明日は誰にも分からないんだから!
似たような言葉に「carpe diem(カルペディエム)」というのもあります。
今日という日の花を摘め
こう訳すと語呂もあいまって素敵な言葉に聞こえますね。
以前、USJに行ったとき、ハリーポッターの敷地内にある小屋の壁にも、このメッセージが刻まれていることに気付いたんです。
せっかくの遊園地なんだから、暑い日射しも凍える風も、長い待ち時間も一瞬で終わるアトラクションも、その時その場所、一緒にいる人と、とにかく今日を楽しんで!!
だれが気付くんじゃい!というくらいそっと描いてあります。
原作にも書いてある描写があるんでしょうか。
死を思えなんて、そりゃそれに比べたら大抵のことが小さく感じるし、本当にそんな覚悟がいきなり出来たら、なんだってやれそうな気がします。
しかし、よほど命と向き合う機会でもないと、本当にこれを心に刻んで行動している人なんてそうそうおりませんよね。
と、いってしまうと終わっちゃうので、ここで一回口に出してみませんか?
どんな事を浮かべながらそれを言いましょうか。
勇気をもらうため。弱い自分をいさめるため。
自分の行為を肯定するため。出来ない人を責めるため。
生き様を証明するため。自分の覚悟を確認するため。
人ぞれぞれ、状況それぞれ。
結局、辛いことや悲しいことにすぐ心を崩されたりしちゃうのは百も承知で、それでも、やっぱり口にしたり頭に浮かべたりすることは大切。
難しい考え方ですよねぇ。だからこんな壁に人類はずーーっとぶち当たってきた、ってことは解決することは出来ないと思う方がいいんですよ。
大丈夫です。
辛い思いをしているのはあなただけじゃないし、あなたのせいじゃない。
これに思いを馳せるとき、大事なことが二つ。
一つ目。
今と素直に向き合う。
その言葉を浮かべた自分のその時のことをもう一度良く考える。
何のために、誰のためにその言葉を使ったのか。
その感情は誰かに作られたものじゃないですか?
言葉のもつ力を正しく自分に向かって言えましたか?
二つ目。
見たもの聞いたもの、経験したことありきで考えなければならない。
何度も言いますが、その壮大な言葉の前では大抵のことは小さく思える。
小さく思えるが、自分にとって大事なことだから苦悩していたはず。
だから、すべてを消し去るように使うべきではないですよね。
次の一歩を踏み出すため、今の自分の位置を知るため使う言葉。
生きていると色んな人に、色んなことに遭遇します。
自分のしたこと、相手がしたこと、悪かったタイミング、伝わらない過程、膨らむ誤解、筋が通らない正論、感性の悪い正義感。
誰かのせい、なにかのせいにするのは簡単で、簡単過ぎて癖にならないように。
いつも出てくる結論は、結局、自分と相手の関係の脆弱さ。
強固な関係性など人生に於いてそうそう組み上がるものではないのでしょう。すぐに人を信用するな、疑ってかかれという事ではなく、そういうものだと知っておく。
蒔いた種が芽吹くのを待つように、花を咲かせるのを待つように、ひたすら我慢して耐える日々が続く事もある。
考えて考えて考えて、考える。
それが何かのタイミングで、ふと自分の中でシンプルになる瞬間があります。
その時まわりを見てください。ずっと近くで信じ、支えて、味方で居続けてくれた大切な人の存在がそこにある。
そこにいる人は他でもない、あなたらしさを愛してくれています。
人はどうしてもひとりで生きてはいけません。
枯れてしまっても、枯らしてしまっても、結局また種をまくことになると思います。次は慎重に、しかし恐れず、確かに向き合って。
私がそばにいるのは、自分が自分らしくあるため。
あなたがそばにいるのは、あなたがあなたらしくあるため。
いつくるか分からないその日だから、今日にこそ後悔のないように、一日一日精一杯過ごしましょう。
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