書くことの自由

記念すべき1本目。「なぜここに書くのか」について。

結論から言うと、ここが「書くことに対して自由な場」だから。

今まで、文章を書くのは嫌いではなかった。小学校のころから日記を書いたり、物語を作ったり、高校や大学でも、自分の考えや思ったこと、ある情報に関することを書くのが、嫌いではなかった。

しかし、大学でのレポート、研究発表の資料、会社で作成する文書などに書く、文章作成は微塵もおもしろくない。理由は、それらの場における文章が「情報伝達」の「手段」にすぎないから。情報伝達が「目的」であるために、「書く必要のある情報」を「伝達されやすい状態」で書かなければいけない。

つまらん。そりゃ仕事だから必要だし、やるけれども、

自分にとって「文章を書く楽しさ」とは、頭の中に「ぽっ」と浮かんだ何かを、フッとすくい上げ、それをすでに浮かんできた他の何かとつなぎ合わせて、紙に起こすところ。イメージは「言葉の積み上げ」。直感に身を任せた、「アート」的感覚なんです。(プロのアートが、恐ろしく計算されていることは知っているので、アーティストの方は怒らないでほしい。)

スキルとして求められるものは、「バン!!」と与えられた大量の何かから、必要な情報を抽出し、つなぎ合わせ、紙に起こしながら再構築する能力であり、イメージは「言葉のつなぎ合わせ」。ロジカルに頭を使う必要のある、「デザイン」的感覚なんです。

この場において何かを書く際、それを必要があるかないかは、それを考えたいときにだけ考えます。

書きたいことを書くし、書きたくないことは書きません。

読んでくれることは嬉しいけれども、読み手のことを考えた上で書くようなことはいたしません。正直に思ったことを書きます。

なぜなら、ここは自由に書ける場、「アートな文章」が受け入れられる場だから。