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7期生『仕事と子育ての両立』から、「結婚様式」「日本の働き方の施策」等についてディスカッション(2024/7/17)

佐藤博樹、武石恵美子、矢島洋子『仕事と子育ての両立』(中央経済社)の第2章「企業による社員の仕事と子育ての両立支援」について、A班・B班に分かれて報告・議論を行いました。


A班 諸外国における結婚相手との出会いの場について

A-1. スウェーデンの結婚様式

スウェーデンでは、夫婦の絆を①法的絆 ②規範的絆 ③性的絆 ④情緒的絆に分けている。

法的絆
 法的絆では、3つの変化がある。
1.婚姻登録により夫婦の関係性・永続性が保証されなくなった
2.「同棲」(事実婚)と法律婚が限りなく近づき、法律婚の法的効果が薄れてきている
3.父母の婚姻関係の有無が、子供の法的・社会的地位にもはや影響を与えなくなった

規範的絆
「不幸な結婚生活を送っているよりも離婚することの方が、ベターだ」と考えている。
⇛個人主義という国民性があり離婚に対する世間の偏見がないため、離婚が人生への前向きの姿勢とされている。

性的絆
 性についてオープンに語られ、性行動にも許容的になり、たとえ結婚関係になくても愛し合っていれば性関係を持つことが自然なことと考えられている。
⇛性関係をもつこと=親になることではない、性関係はあくまでもプライベートで当事者間の事とみなされている。

情緒的絆
 現在のスウェーデンの女性は男性を選ぶのに、男性の社会的地位や収入は二次的なものであり、人柄そのものに関心を向けるようになっている。
⇛相手との愛情関係・できるだけ一緒にいたいという欲求が、結婚・同棲を成立させるだけでなく、維持させるために不可欠なものになっている。

一方日本では、たとえ恋愛結婚で始まり夫婦の情緒的結合があったとしても、やがてその関係性は風化し、他の絆で結婚生活が維持されることが往々にしてある。
ex)「相手が合意せず離婚が成立しない」という法的絆、「世間体」という規範的絆、「子供のために我慢する」という情緒的絆 ⇛これらが強力に働いている。

参考資料
「スウェーデンの結婚・家族:変わる夫婦の絆」 善積京子

A-2. 中国の結婚様式

中国農村部に見られる伝統的な結婚手続きとして、男女双方が結婚の意向を決めた後、次の5ステップが行われる。

①縁談を持ちかける
男方は父親と家族の年配者が同行し、女方の家に訪れ縁談を持ちかける。その際贈り物としてたばこ、酒、豚肉、羊(四色礼と呼ばれるが地域により内容は異なる)およびお金を持ち寄る。女方及びその両親は縁談を認める場合は受け取り、認めない場合は受け取らない。

②結婚式の日を決める
男方は家族の年配者(父親および叔父など)と一緒に贈り物の品(たばこ、酒、肉、各種贈り物)とお金(5万~20万元(約11万~44万円))を携え女方の家や親戚周り。

③婚姻届けを出し結婚式の準備へ
記念写真を撮り、結婚式場・ウェディングプランナー・賓客を決める

④結婚式の実施
伝統的な習俗と西洋的な方式を結合したものがほとんど。
新郎は新婦のために購入した衣服や金銀のアクセサリーを持ち寄り新婦を迎える。新郎が新婦の家に到着するときには爆竹を鳴らし、祝いの飴や金一封を配る。新婦は家から離れる時、嫁入り道具を入れた赤色の箱(生活用品、金銀アクセサリー、お金などを入れている)を携える。
⑤結婚式終了後の三日目に里帰り

一方、都市部では①、②の段階を知らないことも珍しくない。両親は一度会食する程度で、まったく会わないことも多い。
農村部と都市部では結婚に関する習俗がまったく異なる。農村部と都市部で育った者が結婚する際は事前のすり合わせが必要となる。

参考資料
王世禎「現代中国の結婚事情」、都市文化研究センター『都市文化研究』第21号、2019

A-3. エジプトの婚活

イスラム教信者が多いエジプトにおいては、「女性は若いうちに結婚して当たり前」という結婚観が主流。

昔:男性主体。
知り合いや親戚の結婚式での出会い(その場で男性から女性へ求婚)、父親の家  に婿候補が連れてこられる(いわゆるお見合い)
今:一部女性主体
「すべての責任が娘の肩に」という理念で、結婚式で目を光らせる女性が増加。女性側の家でのお見合い

しかし結婚難の原因は複数。
花婿
・結婚適齢期の若者の社会経済的事由。自己資金と将来の展望が結婚に必要
・結婚に際し、新居、婚約式・結婚契約式など数度にわたって行わる挙式の費用
・花嫁への贈り物の慣習
(・ムスリムであれば婚資の支払い)
結婚成立までの費用が花婿の年収の数倍になることも

花嫁
・花婿候補を迎え入れる大がかりな準備。見合い場所になるリビングの大掃除、飲み物やお菓子の買い出し
 ※ここまでやっても必ず結婚に結びつくわけではない
・男女平等とは言えない価値観
一夫多妻制に加え、婚姻後生活に強い制限をかける男性も
結婚のためにむしろ婚資を求めない、夫に従い自己実現をしないなどアピールする人も


参考資料
後藤絵美「エジプト -- 二つの「婚活」物語にみる現代の結婚難 (特集 途上国の出会いと結婚)」アジ研雑誌記事 / IDE Article(1)、アジ研ワールド・トレンド巻 226, p. 32-35, 発行日 2014-07


B班 日本の施策などから探る働き方

B-1. 1980年前後に見られた共働き世帯の増加理由

本文p29 「1970~1980年代に、日本のみならず先進国に共通して共働き世帯の増加が進み…」
先進国でも共働きが増加した理由は何か?

日本
・世帯所得が減少⇒夫婦共に働かざるをえなくなった家庭が増加したこと
・女性活躍推進の機運が高まりる
・それを支援する企業が増えたこと
アメリカ
・お金がかかる
・くびのリスクがある
・社会保障が手厚くない
⇒➀法的に女性の地位が向上
 ②経済的にバブル崩壊がおきる

参考資料
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r01/zentai/html/honpen/b1_s00_01.html

B-2. エンゼルプランとは何か

エンゼルプラン・・・1994年(平成6年)に文部・厚生・労働・建設(すべて旧省庁名)の4大臣合意によって策定された「今後の子育てのための施策の基本的方向について」と題する子育て支援10カ年計画案。

新エンゼルプラン・・・1999年に「少子化対策推進基本方針」に基づき、少子化対策の具体的実施計画を定めたもの。
①保育等子育て支援サービスの充実
②仕事と子育て両立のための雇用環境整備
③働く上での固定的な性別役割や職場優先の企業風土の是正
それでも出生率の低下に歯止めがかからない
→「少子化社会対策基本法」「次世代育成支援対策推進法」など進めていった。

参考資料
エンゼルプラン/新エンゼルプラン/子ども・子育て応援プラン|日本女性学習財団|キーワード・用語解説

B-3. 1970年前後に、男性稼ぎ主モデルが日本で定着した理由

本文p32「欧米では、1960~1970年代の世界的な経済拡大とサービス産業化で労働需要が拡大し女性の就業が拡大したが、この時期に日本では自営セクターが縮小して雇用者が拡大するという状況になり、これによって性別役割分業の固定化が進み、『男性稼ぎ手モデル』が定着していったと考えられる。」
→なぜ日本は他の国と違う道を歩んだのか?欧米も日本も雇用が拡大したのに、なぜ男性稼ぎ手モデルへとその家庭が絞られていったのか?

※以下、男性稼ぎ主型モデルの歴史的起源 より抜粋。

①欧米であっても日本であっても、男性稼ぎ主型世帯を成立せしめた要因の一つに主婦による「家事」という世帯内生産への時間投下があった可能性は否定できないであろう。これは伝統的な家族文化の相違にもかかわらず、家族が生活水準の質の向上を求め,健康や育児の領域で消費を充実させようとしても,市場では調達できない,あったとしても質の劣るモノとサービスしか存在しなかったという、特定の発展段階に固有の問題があったからである。

②問題自体は各国共通であったとしても、その世帯内生産を主婦が担わなければならないという観念は文化によって異なりえた。それゆえ、伝統家族のあり方は無視できない影響をもった。日本の場合、自営業世帯における有配偶女性の働き方は伝統家族が直系世帯型であったことに強く規定されている。とくに、世帯内の働き手と扶養家族の比が低下する家族周期段階においては、妻が家事時間を切り詰め、家業への労働投入を増加させることが要請されたのである。これは、男性稼ぎ主型世帯の成立史とも関連する。その成立契機として、ヨーロッパ諸国について指摘されてきたのは男性賃金の上昇であった。しかし日本の場合、それとともに自営業の勤労者世帯への転換という構造変化も重要だったとみなければならない。男性稼ぎ主型家族世帯の「大衆的成立」が高度成長の時代であったという事実もこの点と関連する。社会学的にみれば高度成長期は,農村地帯から都市への大量移動と、移動した人びとの世帯形成とによって特徴づけられるが、彼らが都市においてもつこととなった家族は必然的に、自営業世帯の軛から解放された核家族形態の勤労者世帯だったからである。

③国家の作為と不作為も無視できない。この自営業世帯の転換過程において、スウェーデンとは異なり、日本政府の政策が女性の市民としての権利を積極的に擁護しようとしたということはなかった。大沢真理も指摘するよう に、高度成長期における政府の福祉政策は男性稼ぎ主型モデルを暗黙の前提としていた。それゆえ、自営業部門から勤労者世帯が析出されると、そのジェンダー間関係の表現形態は「諸外国にもまして強固な」男性稼ぎ主型となってしまったのである。

B-4. 勤労婦人福祉法について

勤労婦人福祉法とは、職業生活と家庭生活との両立を図り、母性を尊重しつつ、性別差別をなくし、能力を発揮できるようにして、安定した職業生活を営む事ができるようにするもの。1972年成立。

背景は2つ存在。
①既婚女性が女性労働者全体の半数を占めている
②仕事を長く続ける女性が多くなってきた
といった、新時代を受けてのもの。

具体的な施策としては、つわり・通院休暇・育児休業などを、努力義務として国や事業者に提示する必要があった。ちなみに育児休業の言葉が法律に出たのは、これが初めてだとされている。
なお、これが1985年に成立した男女雇用機会均等法へと繋がっていく。

ところで勤労婦人福祉法を制定する道すがら、「働く婦人の家」の数を増やす構想も登場した。女性のWLBに繋げることを目的とした施設である。
1. 職業相談・講習などをやる。
2. 職業と家庭の調和に必要な相談・講習とかをやる。
3. 家事の援助に関する事業をやる。
4. 休養やレクの機会を提供。

参考資料

本文
スタートした勤労婦人福祉法 「育児休業」普及に期待_家庭 - 1972年7月11日 東京 朝刊 17P 朝日新聞クロスサーチ
余談
・働く婦人の家の設置及び運営についての望ましい基準(◆昭和49年07月16日労働省告示第52号) 
勤労婦人福祉法を 自民調査会が五カ年計画 託児所の拡充など柱に - 1970年6月15日 東京 朝刊 2P 朝日新聞クロスサーチ




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