自分に合わない事をする不幸:エホバの証人
バプテスマを受け、エホバの証人として伝道や再訪問に励み、開拓奉仕者を目指しました。
10代の後半の頃、高校を卒業した頃です。この頃は、まだ勢いだけでJWとしての生活をどうにかやっていくことができました。
しかし、さすがに20歳頃から、自分の生活の仕方に疑問を抱く様になりました。
不安定な仕事と奉仕時間、そして、その他のJWの活動にあてる時間の割合と自分の性格との兼ね合いです。
自分自身の性格と合わない事ばかりをするのが苦痛
自分の性格、または特質に合った職業に就いている人は意外と少ないようです。
また、ライフスタイルが自分に合っているかどうかと言う点でも、意外と合っていないライフスタイルを送る人も多いようです。
接客業は合わないのに、接客業をしているとか、田舎でのんびり暮らす方が合っているのに、都会で暮らしているなどですね。
私自身も、「JWのライフスタイルが全く自分に合っていない」と言う事に気付いたのは、実は、JWを離れてからでした。
私は大くの人数で集まるのは決して好きではありません。どちらかと言うと、少人数でゆったりとした集まりをする方が好きです。しかし、JWはけっこうな頻度で大人数で集まります。
この様な状況を表面上は、一応、楽しむことはできますが、結構、緊張してしまいます。
また、私は、一人でいる時間が大好きです。一人で本を読んだり、手仕事をしている方が好きです。しかし、JWは仲間同士で集まる事を大いに勧めます。これが結構、苦痛でした。
だから、大会や記念式などの人が多く集まる様なイベントに対しては、どこか心から喜べないどころか、うんざりしている自分がいました。
そして、これらのイベントでは出席人数を発表するのですが、増えれば増えるほど喜ばしいとするJWですが、私は、心から喜べずにいました。
JWの中で自分には合わない事を列挙していけば、たくさん出てきますので、ここまでにします。
これを読んでいる皆さんは、JWのどんな点が「自分には合っていない」と思いましたか?
自分に合わない事をするから不幸に感じる
JWとして生活を送っている中で、ある時点から、私は私がJWとして生活している事に幸福を感じなくなりました。
色んな要素があったからだとは思いますが、特に自分のニーズに合わない事を自ら選択していたからだと思います。
私は、こういう性格でこうしたい、ああしたいと言う自分のニーズはありましたが、JWとしての生活を送る上では、あまり勧められない事柄ばかりの様に思いました。
例えば、多くの時間を一人で過ごしたいとなると、世俗の仕事に割かれる時間以外から、奉仕や集会に割かれる時間を全くの一人で過ごしたいのですが、現実問題そう簡単にはいきません。
一人で過ごす時間が、1日のうち、1,2時間でいい人もいるのでしょうが、私は、丸一日、または、丸2,3日無いと、充電できない性質です。
しかしながら、仕事やJW活動をしていると丸三日も人に合わずに過ごすことは現実的ではありませんでした。
JW的には人に合わずに過ごす人なんて、霊的に弱った人として捉えるかもしれません。
そんなこんなで私は自分の充電時間の少なさから、非常に精神的に、溺れるような感覚を味わう様になりました。そして、JWとしての生活に不満感と不快感を覚える様になりました。
このため、とても幸せで「喜びにあふれた民」でいる事を10代の頃の様に維持するのは難しかったです。
10代なんてまだまだ、自分自身を自分で理解できていない時期ですからね。
本当の意味で自分を知るには、ある程度人生経験は必要です。
本当の自分では生きられないJWの空気
とはいえ、ある程度、自分が何を好み、どの様な時に自分は調子が良くて、悪いのかを、生きている年月と共に、よく観察しながら、ライフスタイルに変更を柔軟に加えて行けたら、良かったのです。
しかし、JWにいると、それがまたやりずらかったです。
なぜかと言うと、基本的にJWでは開拓奉仕者になり、月々に70時間ほど伝道などの活動に時間を当てなければなりません。そして、私は10代の頃には、開拓奉仕者になると宣言していました。
そのため、補助開拓者として月々50時間を伝道活動に充てていましたが、上記で述べたような性質からとてもじゃないですが、どうにも、開拓奉仕をすることに踏み切ることはできませんでした。
それどころか連続で補助開拓を続けて一年も経つ頃には、体調が悪くなり、とてもじゃないですが、補助開拓を続けることすら無理では無いかと思いました。このタイミングで大学に入学をしてから、しばらく後に補助開拓を辞めています。
当然の様に、周りのJWはどこか非難めいた事を言ったりしてきました。JWとしての既定路線を歩まない者に対する態度は中々シビアです。それが特に、「開拓者になる」宣言をしていた者にとっては。
しかし、ここで大学に行くこと無く、正式に開拓奉仕者になっていたら、私は壊れていたでしょう。
本当に幸福なJWはいる?
JWの既定路線を歩む兄弟姉妹達がどこまで本当の意味で、その生活が合っているのでしょうか?
既定路線を歩む者たちの多くが、本来ならば、「喜びに満ち溢れ、幸福である」のならばいいのですが、頻繁に病気になったり、笑顔でありながら、どこか陰鬱な表情をしていたり、陰鬱では無くとも、オブラートに他人を傷つけるような発言をしたりするなどしていたりするのを目にすると、本当の所、彼ら、また、彼女らは本当の意味で、幸福な生き方をしているようには見えませんでした。
それは、JWの中で蔓延する同調圧力や暗黙のルールなどのせいで、本当の自分はどのような存在か直視することをから目を逸らされ、自分のニーズを無視しなければいけない生き方を選んでいるからでは無いかと思います。
JWでは、すべての願いは、楽園での永遠の命を得た時に果たせばいいと教えますから。
本当の意味で、幸福なJWの成員を知っている方はいるでしょうか?
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