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反知性主義(?)

この文章性格悪くなるから読まないで



この文章を書いた野郎は社会的には知性は無いと階級づけられている
表に出れば馬鹿だの阿呆だの無能だの言われるだろう

でもよく考えてみろ
そもそも"知性"なんて物も"人間様の裁量"でつけられたものだと思うのだ
私はこの知性階級とやらを破壊したい!

さてまず知性という観念を否定するにはやはり知性のあるとされる人間にならねばならぬ
例えるなら、まずもしも賎民が貴族に対して文句を言ったところで改革はされず排他されるだろう
しかし暴力で解決する方法もあるにはあるし人々はそれを"革命"と呼んだりする
まあその話は違う時に話しておこう

私が思うに、貴族という人種をよく理解している、"貴族自身"が
「やっぱ俺ら貴族ってゴミだわ。賎民と貴族は平等な存在であるべき。いやなんなら賎民様のほうがお国のことを考えた崇高な存在と言えるかもしれへんな。」
って言えば革命は起きるはず

つまり学歴馬鹿にするなら高学歴になってから言えやカスってどうでもいい話はしたくないねん今
いや自分で書いてんねんこれ
でもやりたいとかやりたく無いって常に矛盾するからな
今読み返したけど情緒不安定すぎひん?共感生羞恥ひどいね
一人で書いて何してんの?あかんわ自問自答

"反知性"主義と反"知性主義"とで認識が分かれているらしいけど

前者は"反知性"だから馬鹿になろうって話なのか
後者でいうと"知性至上的エリート主義"を反対する意味なのか
まあそんなことは置いておいて
(よくわからんから)

今日は"知的"と呼ばれる観念がそれぞれの時代の常識の中で存在しているという話をするで


この話から"勉強"と呼ばれるものを否定するつもりはない
むしろ俺が最終的に言いたいことは
「"常識"には勝てへんから、ひとまず社会のレールには外れるな。普通に勉強しとけ」
ってこと

じゃあまず哲学っぽく書きたいから原点から話していくで

そもそも俺らは生物的には衣食住があれば生き残れる
そして人間という社会的な生物としては他の人間とコミュニケーションを取ればなお良い
肉体的だけでなく精神的にも健康でなければならんのや



ここまでは狩猟時代の話だね
でも今の現代社会というのは
"自分の成功"よりも"他人の失敗"を知ることのほうが大事な訳なんや

まあどういうことかっていうと
ひとまず俺らは"常に責任を負わされている"という話なんや

ああまた過激な話になったね
この文章を口頭で話したら確実に他人から引かれるで
きもいのきもちいな〜

そして過去の責任を経験した人間と
コミュニケーションつまり情報伝達するために"記号"が生まれた
これが"文章"と呼ばれるものだね
そして文章をより理解できる人間を大体のひとは"賢者"とか呼んでいるわけや

んん分かりづらいな
んまあでもZ世代が借金背負わされているのは本当だけと
意味わからん説教されても話を聞くわけがない


でもよく考えてみろ
何をもって"頭が良い"かなんて定義できる人間はそうそうおらんやろ


記憶力?
文章を読む能力?
論理思考力?
コミュニケーション能力?
受験勉強?
芸術性?
好奇心?
結果論?



今挙げたやつ全部を頭が良いというカテゴリーに含めることも可能かもしれないね

でも"頭"が良いとか言いながら
"頭"の部位が優秀なのかよくわからん
論理思考力は現代人の方が優秀だけど
脳の健康そのものでいえば自然界に住む民族のほうが優秀でしょ
しらんけど



まあ"頭良い"という認識に囚われているけど
物事をあまり疑わない大衆の方が
なんだかんだで精神的に安定して結果出せるんだけどね

中身のない話でも中身ある話でも
コミュニケーションとしては成立しているから孤独を満たせるし
"好奇心"を話のエッセンスとして取り入れる必要があるのかないのかという話になるけど
友達いないんだよね俺


あとさっさとこの話をすれば良かったんだけど
"知性"と"伝統"を現代は一緒にして考えられているんじゃないかと思うの

五感から自然を認識できる、質感を感じられる部分を
文化的な趣きとか呼んだりするんだろうね
そして日本文化のひかえめさを持った気難しさを度々知性とか呼んだりするんや


ああごめんなさい自分で読んでてよくわからんねえ
もう一回頭の良さそうな類義語を並べよう

語彙力、静かさ、控えめさ、伝統、教養、記憶、自然、論破、青、常識人、真面目、勤勉、マナー、賢者、本、学問、科学、大学、大人、芸術、宗教、おとなしさ


もうわかっただろ
知性=説得力から受けたものや
何も考えずに書くからこうなる

あと子供の大人しさから真面目、頭良いとかいう連想も受けたりするね
子どもと大人が存在する時点で説得力という感情は普遍的に芽生えるものなんよ


あと俺が言いたいのは勉強とかじゃなくてもっと具体的に何を知るべきか考えるべきや
本で勉強とか言いながら小説読んだりしているやついるからな
いやいいと思うよ小説ねえ
でも読みたい人だけ読めばいいと思うけどそんなこと言わずにとりあえず読み続けたら楽しめるようになるかもよ

あと情報を知識とか知恵とか教養とかの階級に分けたりしているやつも疑えよ


やっと結論が出たわ書いてて
ようは
「"知性を感じるもの全般"を分析してみたら面白いかもね」
という話
いや結局知性なんてカッコつけているものなんだ!で十分なのやら

やっぱようわからん

あと知性を感じないものも考えてみても良いかもな

世の中は"説得力バイアス"でできてるんだよあくしゅしろ

説得力あるとか胡散臭いとか全部有象無象の確率の常識から認識が感染して思考が洪水化したエラーなんや
カッコいい言い方だね





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