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日本は文明の秋に向かって衣替えを迫られている

梅雨がほぼなく、すぐ夏が来たと思ったら、今週は戻り梅雨。
本当に最近はよくわからない天候が続きますね。

さて、日本は世界の中でも季節がはっきりした国の一つですが、繰り返す季節のように、国家の盛衰は何度も同じパターンを繰り返すという考え方があります。
よく、昔から歴史は繰り返す、なんていう言ってるやつですね。

私の若い頃は、まだ共産主義とかへのあこがれが残っている時期で、ヘーゲルの弁証法で言うところの事物の螺旋的発展みたいな理論を振りかざして、社会はあたかも螺旋のような発展的循環の様相を呈している、なんて言っていて、ずーと俺のターンみたいな考え方が一般的だったのです。
まあ、実際に日本もずっと発展してきましたし、世界全体から見ても、この100年間は人類史に特筆すべき成長の時期だったろうと思います。
季節に例えるなら、太陽が燦々と照らす、真夏のような季節だったのですね。

しかし当然ながら、繰り返す文明の季節には、春も、秋もあるわけで、決して永遠に夏が続くことはありません。
円環史観を唱えたシュペングラーにしても、発展的循環史観を唱えたトインビーにしても、文明はあたかも四季を繰り返し年月が過ぎていくが如く、発生→成長→衰退→解体のサイクルを繰り返していると指摘しています。
そうです。夏が終われば衰退の秋がやってきて、解体の冬を迎え、そして新たな文明が発生する春が再び巡ってくるのです。
この法則からは、いかなる文明といえど逃れることはできません。

そういう意味では、少なくとも日本は『夏』が終わり、文明の「秋」を迎えているのだろうと思います。
でも悲観することばかりではありません。
永遠の夏がないように、永遠の冬もないのですから。
ただ大事なことは、今の季節を感じ、来るべき季節に向けて準備をすること。
我々がなすべきことは、文明の季節にあった衣替えをしていくシーズンなのかなと思うのです。