研ぎ澄ませビート

つまらない人間になっていく。
そんな感覚がこの数年どんどんとひどくなっていっています。けして、面白い人間だった!というわけではなく、鈍っていく、そんな感覚。
鮮明に見えていたものが、色褪せていっているような、そしてそれに慣れてしまっているような、そんな感覚です。
新鮮じゃない、言葉が新鮮ではないのです。擦り切った言葉を使い回して、新しいものを入れていない。だからもっとまっすぐだったものが、少し尖っていたものが、まるくなり、無難なものになり、つまらない人間になっていく。それはきっと現実で、それに抗いたいから、すこしでも違う可能性に縋りたいから感覚という言葉を使うのでしょう。実際につまらなくなっている。ありきたりで、無難で、当たり障りなくて、人に刺さるものが何もない、そんな人間であり、言葉たち。
自分の言葉をコピペして貼り付けて使い続けているような、新鮮味のなさ。別に過去のように尖らないといけないとは思いません。ただ、つまらない言葉を使う人間になってしまっていることに、反吐が出る。
歳をとるごとに、新鮮だったものがどんどん新鮮でなくなり、新しいものに手をつけなくなってしまっている。クソつまんねぇ、感性。
もうそれは自分が自分である必要がなくって、このnoteもわたしである必要がない。そんな文章を書いていることをありありと、見せつけられたというか、読み返して思う。日記帳にでも書いてろよって。言葉の新鮮味が失われてしまうのは、コミュニケーションにも関係してくると思うのだ。
同じような毎日を繰り返していても、新鮮だった感性の鈍り具合。新しいものを、素直にキャッチできない、うがった捉え方もできないツマンネっていう思考。つまらない、実におもんない。
昔を取り戻したいというより、最新の新鮮な感性を持っていたいんだ。
思えば、インプットが減った。何かに影響されることが減った。後者は自己の確立でもあるかもしれないけれど、それとは微妙にズレている、妥協や考えすぎて一周も二周も回ってどんどん陰って、ただの文字になってしまう、面白みのなさよ。
文字を書き出したいのではない。漢字ドリルじゃないんだから。
自分の中にあるテンプレートをぶち壊したい。テンプレートは別に枠組みの中で自分なりにするというわけではない、こういう時はこれで、といったペラッペラの文字。

わたしは指摘されて初めて気づいたのだけれど、LINEなどで、相手が言った言葉を自分の言い回しに変えてのおうむ返しがよく出てしまうのが、いつの間にか癖になっているようだった。頷くことに。◯◯ってコトなんだよねにたいしての、ああ!◯◯っていう感じなんだね!のような、そんな言葉の使い方。語彙力もなければ、想像力も発想力もない、それって、返事として何にも考えてないよね、という脳直の繰り返し具合。気持ちが悪いな、自分、と知った時衝撃だった。脳直だったとしても、言葉を蔑ろに、相手も蔑ろにしているような言葉の使い方。きっしょ!!!そう、きしょい上におもんない。
それならbotの方がまだいい返しをしてる。AIなんてもっと上だ。
日本語が好きなわたしは、日本語の便利さに甘えている。そうしてどんどんつまらない人間になっていく。自分語りをする人よりタチが悪い。だって、わたしがわたしである必要がないから。
感覚、感受性、センス、時々の尖り、それがない、ただダラダラとした、小手先で過去模倣をしているような言葉しか使えなくなっていること。

ショックというより、悔しい。せっかく30歳もこえ、今年32。20代より色々な感情の対処法を覚えた。そっちに気がいってる。経験を活かせていない。そうして気付かなければ、懐古厨のありふれたネット住民になる。つまらない、嗚呼、つまらない。そんなつまらない生活は嫌だ。受け入れ、新しいもの・コトを経験したり、感じたりするのは。人生に慣れたくない。活のいい魚でありたい……いや、粋のいい。

本を読もう、映画を観よう、様々な音声ドラマを聴こう、アウトプットをもっと上手くなるように、まずインプットから始めよう。好き嫌いはあまりせず、様々な物に刺激を受けよう。歳をとった気になるな、誰かが言ってた、今が人生で一番若いと。そう、わたしは若い。たまにパニックを起こすと5歳児に後退するほどに若い。5歳児まで戻ってる場合じゃねぇよ。

アンテナを張っていこう。自分自身の。オタ活ではアンテナ張ってんだから、そこに限定するのやめなあ?
毎日毎時間毎秒を新鮮にね。できるだけ。流石に学生の時分の時ような新鮮さは流石に無理なのはわかっているよ!

今を生きる!今この瞬間を!!!
じゃあ今日も生きるよ。明日も何もなければ生きてるよ。死ぬまで生きてるよ。


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