見出し画像

コロナ禍前のブログ。新しい時代を生きる子どもたちへ、大人ができること(2)

少数派に焦点を当てると問題が解決するかも

多数決。意見が分かれた時によく使われる決め方です。

文字通りにとると、多くの人数が賛成した意見で決まるという意味ですが、民主主義では、「少数意見にも配慮する」ことになっています。

「少数意見を切り捨てる」ではないのです。

学校教育では、この「少数意見に配慮する」ことがあまりないのではないでしょうか?

少数意見は切り捨てられ、多数派の意見、声が大きい人の意見が通ってしまう。

先生に時間がない、余裕がないのが理由の一つだと言われています。

忙しいので少数の対応をするのは面倒、その他大勢の面倒をみることの方を優先しないと仕事が回っていかないのです。

中高年のひきこもりが多数いることが話題になっています。

これは国が何十年も前から問題になっていたことを放置してきたツケだと思います。

今すぐ改革しないと、何十年か後にはひきこもりだけでなく、不登校、ニートやフリーター、発達障がい、その他さまざまな障がいを持った人など、「いわゆる普通」でない人の方が多数派になるでしょう。

ひきこもりや不登校の根本となる原因は、多くの場合学校にあると考えます。

学校生活は家から社会に出るスタートであり、生活の大部分を占めます。スタートで傷ついて、家から出られなくなっているんだと思います。

子どもはストレートにものを言います。大人からしたら生意気なことを言っていると感じるかもしれませんが、冷静になって考えると真っ当なことを言っていることが多いです。この時期を逃してしまうと、本当のことが見えなくなってしまいます。

「いわゆる少数派」の我が子を育てるのは大変ですが、私が気づかなかったこと、知らなかった世界を教え導いてくれる大切な存在です。

子どもたちだけでなく、育てている親の気持ちも楽になるような社会になることを真に望みます。

学校教育のあり方、子どもたち周辺の社会のあり方が原因で、子育てをする親の精神面の不安も増大します。お金で解決する問題ではありません。

少子化問題といいますが、子どもが少ないのは問題だといいながら、人口に対して子どもの比率が「少数」、高齢者が「多数」なため、「少数派が切り捨てられている」社会はおかしいです。

学習する学校 Schools That Learn

苫野一徳先生の『「学校」をつくり直す(河出新書)』の中で紹介されていた本『学習する学校(英治出版、ピーター・M・センゲ 他 著、リヒテルズ直子 訳)』。

なんと885ページもあるので、読むのに相当時間がかかってしまいました。

翻訳本で、適当な日本語がない語句はカタカナ語で訳されているので、理解するのが難しかったです。英語を勉強していないと、難易度がかなり高く感じるかもしれません。

内容について「訳者まえがき」より抜粋します。

『教室・学校・コミュニティという三つのレベルに分けて、そこにかかわる子どもと大人の両方を学びの主体と捉え、社会そのものを学び続け発展し続ける「生きたシステム」として根底からつくり変えるビジョン、そのために私たちが容易に関われる数々の実例やエクササイズを提供している』

『本書は、私たち産業時代の教育システムで育ったものすべてに、自らが経験し育てられてきた学校を振り返り、未来に向けて「学び直せ」と迫ってくる。学校は「教える組織」から「学ぶ」組織に変わらなければならない。そうしなければ、学校は子どもたちに過去のメンタル・モデルを継承するだけで、彼らが、やがてまだ見ぬ未来の課題に立ち向かって生きる力を身に付けさせることはできない』

『学校が「学ぶ」組織になることで、教員と生徒、教員と管理職者、教員と保護者や地域の人々、すべての関わりがお互いを排除しない包摂的なものとなり、それぞれが他者の見解に謙虚に学びあう姿勢が人と人との間につながりを回復する(中略)

自然界のありとあらゆるもの、そして、人類を含む地球上のすべての存在がシステムとして相互に依存しあっている根源的事実を認め、それへの理解を深め、共有することで、持続可能な未来が広がる』

本書75ページには、気になる言葉が載っています。

『ある教員がこんなことを言った。彼女は、自分のクラスに18人の子供を抱え、そのうち15人に異なるタイプの「学習問題」があるという。(中略)だが、一学級の子どものうちの4分の3が「普通ではない」と一体どういうことか。むしろ「普通」とは一体何かを私たちに問いかけているのではないか。』

『私たちが「学習障害」と呼ぶものは、実は今の教育プロセスと人間との間の不適合を表すに過ぎない。なぜ、人間ではなく教育プロセスのほうを「障害」と呼ばないのか。』

エクササイズの例でおもしろかったものを1つ紹介します。

学習者の性質を見出すというエクササイズ(277~281ページ)です。

「〇〇をするからチームをつくって」というと、最もそれの得意な子から順に選ばれます。最後まで残ってしまうと、自分が役に立たないというレッテルを貼られたような気になります。この刷り込みを壊すのに役立つというのがこのエクササイズです。

この中で、9つの知能が紹介されています。優れているか否かではなく、どんな点で優れているかです。

①ワード・スマート(高いことば・言語知能)

②ロジック・スマート(高い論理・数学知能)

③ピクチャー・スマート(視覚能力や組み立てる能力)

④ボディ・スマート(高い身体・運動知能)

⑤ミュージック・スマート(高い音楽知能)

⑥ネイチャー・スマート(高い自然知能)

⑦ピープル・スマート(高い対人的知能)

⑧セルフ・スマート(高い内省的知能)

⑨フィロソファー・スマート(高い実存的知能…抽象的概念を扱うのが上手)

学校における得意な教科でわかるようなものだけでなく、⑧のセルフ・スマートや⑨のフィロソファー・スマートなど、学校ではなかなか評価されない部分が得意だという子どもにも合う選択肢があるのがいいです。

どの子にもそれぞれいいところがあるのですが、「評価される」環境にいると「評価項目」にない点はなかなか評価してもらえないですからね。

詳細は、本書をお読みいただければと思います。

かなり重いですので、覚悟してください(笑)。1kg以上あります。

「学校」をつくり直す

熊本大学教育学部准教授の苫野一徳先生の本を紹介します。
河出新書の文庫本なので、読みやすいです。

帯に書いてあることを読んで、ぜひ手に取っていただきたい本なのですが、楽天のリンクには帯が載っていないので、ここに掲載しておきます。

義務教育は、このままでいいのか?

数多の”現場”に携わる教育学者による、渾身の提言!

小1プロブレム

  • 「スタンダード」の流行

  • 学力別クラス

  • 無言給食・無言清掃

  • いじめ・体罰

  • 学力向上至上主義…

みんな一緒、みんな同じの、150年変わらないこの国のシステムは、本気で変えなくてはならないーー

学びをもっと遊び(探究)に

受け身のガマンではなく、能動的忍耐力を。

「言われたことを言われた通りに」から、

自分なりの問いを立て、自分なりの答えを見つけ出す」へ。

教師は”共同探究者”。

「みんな一緒」をやめる。

時間割もテストも一人ひとり別々に

人の力を借りながら、人に力を貸しながら。

子どもたちに”学校づくりのオーナーシップ”を。

学校をこう変える!

これだけで、内容がよくわかります。

そして、その実践の場として、幼小中「混在」校、「軽井沢風越学園」が2020年に長野県軽井沢町に開校予定です。

こういう実践校が増えるのはうれしいですが、自分の住んでいるところの近くではないのが残念です。少なくとも各県に1校以上増えてほしいですね。

今後の動きに注目です。

水泳の授業

6月中旬です。まだ涼しさを感じますが、

学校では水泳の授業が始まっています。

我が子の小学校では、水温が25℃以上にならないと授業はありませんでした。

子どもたちが嫌がっている「地獄のシャワー」と呼ばれる冷たい水をかぶるのが最初の関門でしたので、水が恐い子どもにとって水泳の授業は「学校に行きたくない」原因の1つになります。

ところが中学校では、雷が鳴らない限り中止にならないんですね。

今年は一時期高温でしたがまた涼しくなり、水に入りたいと思うような暑さではありません。(もちろん日によって違いますが)

なぜ6月から?

まだ9月の方が暑さに慣れていていいような気がしますが、体育祭とかぶるからという学校行事の都合でしょうか。

子どもたちの健康管理がまず優先されるべきではないでしょうか。

異常気象が普通に起こっているので、従来の計画と合わなくても当然です。

学校のプールは最初からあったわけではないそうです。プールを作るためのお金がなくて、卒業生からも寄付を募ったという話を聞いたことがあります。ということは、水泳は当時必須ではなかったんですよね。

海に囲まれている国だから、泳げるのは「当たり前」なのでしょうか?でも、水の事故は減りません。

プールに使う水道代も馬鹿にならない額だそうです。

水泳部や水泳大会がなければ、1年のうち11ヶ月は使われずに放置されている場所です。

水泳の授業のために荷物が増えます。水着は成長とともに買い替えなければなりませんので、家計にも負担がかかります。しかも制服のように指定があります。

スイミングスクールに通っている子どもも多くいます。学校で全て面倒をみる必要がありますか?

体育の授業のあり方が時代に合わなくなってきています。

ストレス社会なので、健康維持のために運動をすることは大切ですが、「我慢する」運動はかえって良くないです。もうやめましょうよ。

追記:猛暑だと逆にプールサイドが熱すぎて、裸足で歩けないほどだったと聞きました。プールサイドでの準備体操は先生も見ていないそうで…

プールを補修しなければならないようなら、無しにするのがいいですね。

「社会を変える」=「自分を変える」

映画「みんなの学校」をご存じでしょうか?2015年に劇場公開されたドキュメンタリーです。私は残念ながら見たことがないのですが…

大阪市立大空小学校の日常を描いた映画ですが、初代校長の木村泰子先生のお考えに感銘を受けました。

木村泰子先生が書かれた本は他にありますが、今回はもう少し取っつきやすい岩波ブックレットを紹介します。

木村先生と尾木ママ(教育評論家・尾木直樹さん)との対談をまとめたものですので、読みやすいです。

「みんなの学校」とは「地域住民のための学校」という意味で、「すべての子どもの学習権を保障する」という理念(憲法で定められています)と、「自分がされていやなことは人にしない。言わない」という1つの約束のもと、先生や周囲の大人たちの愛情につつまれて、様々なタイプの子どもたちがお互いにかかわりながら成長している学校です。

これを聞くと、普通の学校だと思うかもしれませんが…

実は学校や社会では大人にとっての「あたりまえ」や「普通」を子どもに押しつけていることが多いのです。これが本当の子どもの姿を見えづらくしているのです。多くの学校は授業参観をはじめ、外部の人に「見せる」ための学校になってしまっているのです。(憲法で定められているはずの子どもの人権が、学校では守られていないということもよくあります。)

子どもたちが主体となるためには、子どもたちのことをよく見て、意見をよく聴くということが大事で、教師がすることはただ一つ、目の前の子どもから学ぶということだそうです。

教師だけでなく、保護者も、子どもたちを見守る地域社会の人々もそうするべきではないでしょうか。私も子どもから様々なことを学んでいます。親が与えなければならないことが多い幼い時期はもちろん、思春期に入って子ども扱いされるのを嫌がる時期は特に「大人も学ぶ姿勢」が大切だと思います。

「道徳」が教科になりました。小学校では2018年4月から、中学校は2019年4月からです。教科になったということは、教科書があり、評価がされるということになります。

そもそも、「道徳」が教科になったのは、「いじめをなくす」ということからだそうです。でも、これでいじめは本当になくなるのでしょうか?

「道徳」に関して、一人ひとりが幸せになるための正解はどこにもなく、この正解のない問いを問い続ける力が大切だということです。

将来を幸せに生き抜くためには、学校生活すべてを通して「自分の考えを持つ力」「自分を表現する力」「人を大切にする力」「チャレンジする力」の4つの力を身に付けることが大事だということを、大空小学校では確認しています。

だから、道徳の教科書を正解とするのは問題だし、評価をつけるということは無理だということです。

では、どうすればいいのでしょうか。

「文句を意見に変える力」を一人ひとりの大人が持つことが必要で、これができれば地域社会が変わり、地域が変われば日本社会も変わるということです。

そもそも、学校は評価をするためのテストがあることもあって、正解・不正解の2択の世界なんですよね。だから、白黒はっきりさせないといけないというような考えを学校生活で作ってしまっていたのかもしれません。大人になってから、白でも黒でもないことにたくさん出会い、失敗を重ねながらなんとかここまで生き永らえてきました(笑)。

教育は人生の中で非常に大事なことなのですが、教育も人も簡単には変えられない。だからこそ、少しずつこのブログで意見を出していって、何かちょっとでも変化が見られるといいなと思います。

イエナプラン教育を公立校が取り入れる?

オルタナティブ教育。伝統的な公教育ではない教育という意味で使われています。

主にヨーロッパで発展している教育です。

いろいろな種類がありますが、例えば、「モンテッソーリ」、「シュタイナー」、「イエナプラン」など。

以前から、日本の公教育にも取り入れたいとする人の動きがありますが、そのまま取り入れるには文化や社会環境の違いがあるので、反対する人も多く、受け入れに時間がかかっています。

ただ、幼稚園には取り入れられているところもがたくさんありますね。

私が通っていた幼稚園もモンテッソーリ教育を取り入れていたようです。親は特にその点を考慮して入園させたわけではないようですし、導入直後の入園だったため、私自身はどういう効果があったのかほとんど思い出せませんが。

その中で、最近イエナプラン教育が公教育に取り入れられるという大きな動きがありました。

イエナプラン教育はオランダ発祥です。特徴としては、「教室はリビングルーム」「様々な年齢の子から成る学級編成」「教科によらない時間割」「教師はグループリーダー」「車座になって話し合う」などがあります。

2019年4月には、日本初のイエナプランスクール認定校として、長野県南佐久郡に学校法人茂来学園大日向小学校が開校しました。

こちらは私立です。

公立でも広島県福島市では、2022年4月にイエナプラン教育校(小学校)を開設することが決まり、今年度から準備が始まっています。

いろいろなオルタナティブ教育の中からイエナプランがなぜ選ばれたのか、なぜ国ではなく自治体が動き始めたのかが注目したいところです。

昨年末には、名古屋市教育委員会もイエナプラン教育を取り入れようとし始めました。

子どもの個性や自主性を育むための改革として有志で勉強会をしたということで、具体的に学校を作るというところまでは進んでいないようです。

注目された点は、「時間割や学年の枠を廃止する」ということのようです。

心配なのは、大都市は動きが遅いことです。イエナプランの根本を理解せず、外国の文化は合わないからやっぱりやめるとか、部分的にいいところだけ取り入れて終わりとかいうことがないことを祈ります。

イエナプランについては、日本イエナプラン教育協会のWebサイト

に詳しい説明が載っています。

世界一のフィンランドの教育

ヨーロッパの教育がなぜ注目されるのでしょうか?

個人的には、アメリカやロシアといった大国よりもヨーロッパの国々の方が好きです。なぜなら、国土は小さいけれど歴史が長く、周囲の国々に揉まれながらもなんとか生き延びてきた、そんな逞しさがあるような気がするからです。

そんな中、今月発売されたばかりの「フィンランドの教育はなぜ世界一なのか」(岩竹美加子 著、新潮新書)を見つけたので読んでみました。

岩竹さんはヘルシンキ大学の教授で、ヘルシンキと東京の両方で子育てした経験をお持ちです。

帯には、「テストも偏差値も受験もない」「それで勉強はできるって、どういうこと?」「その秘密、教えます」と書かれています。

世界一というのは、OECD(経済協力開発機構)が2000年か3年ごとに実施している、

PISAという学習到達度調査のことです。

「はじめに」より、興味深かったところを抜粋してみます。

著者によると、

「フィンランドの教育の良さは、何よりもそのシンプルさにある。」

どう「シンプル」なのかというと、

「入学式や始業式、終業式、運動会などの学校行事がない。」

「授業時間は少なく、学力テストも受験も塾も偏差値もない。」

「統一テストは、高校卒業時だけだ。」

「一斉卒業、一斉就職という仕組みはない。」

「服装や髪型に関する校則も制服もない。」

「教育に関して地域という考えはなく、さまざまな連絡協議会、青少年育成委員会など、学校を取り巻く煩雑な組織がない。」

など。

地域という考えは、確かに変だなと思っていました。PTAの役員をやって知ったことですが、教頭先生というのは、単に校長先生に次ぐナンバー2ではなくて、(保護者を含めた)地域の総合窓口になっているんですね。公立の小中学校は、いざという時の避難所に指定されていたり、地域のスポーツ施設やイベント会場として使われていたりします。そういうことに関する雑務も教頭先生の仕事と聞いて、非常に驚きました。

PTAの役員の仕事の中にも、子どもとは全く関係のない、地域の組織のための仕事があるのも驚きでした。

PTAの役員でなくても、日本では子どもを学校に通わせるとなると、親がしなければならないことがたくさんあります。新年度当初が落ち着かないのは仕方ないとしても、ある日突然「明日◯◯が要るから用意して」と言われることが多々あるのです。一般家庭にはないものもあり、働く親は買いに行く場所や時間を見つけるのも一苦労です。しかも、使うのはほんの一時だったりします。宿題のチェックも親がしなければならなかったり、親向けの宿題(ex.コメントを書くなど)が出されたり、宿題のためにどこかに連れて行かないといけなかったりと結構忙しく、いつになったら解放されるのかと中学生になった今も思います。

その点、フィンランドでは親のストレスが少ないそうです。

「小学校から大学に至るまで教育費は無償」

「小中学校では、教科書やノート、教材等も無償で支給される。」

「学級費やその他、諸費用はない。」

「給食も、保育園から高校まで無料である。」

「入学に際して、ランドセルや新しい服など高価な買物は必要ない。」

「毎日重いカバンを背に通学する必要はない。」(いわゆる置き勉)

「持ち物すべてに名前を書く必要もない。」

「学校からの手紙やプリント類はほとんどない。」(メールシステムが使われているため)

確かに、親の負担は経済的にも精神的にも楽だということですね。うらやましい…

そして、ただシンプルでいいのかという疑問がわくかもしれませんが、そんな教育を支える理念として、

「徹底した教育無償化と平等、子どもの権利やウェルビーイング、子どもたち自身の教育への参加」

などがあるといいます。

ウェルビーイング(well-being)とは、

「フィンランドでは生きていく上での快適さ、満足感、充足感、安心、自信、健康など、幅広い意味を持つ」

そうです。

憲法で子どもの権利が規定されているのです。

学力をつけるだけでなく、心身ともに健康に育てるという点が、ストレス社会において子どもたちを育てる重要ポイントになるのではないかと思います。

章の構成です。

第1章 フィンランドで親をやるのは楽だった

第2章 フィンランド式「人生観」の授業と道徳

第3章 フィンランドはいじめの予防を目指す

第4章 フィンランドの性教育

第5章 フィンランドはこうして「考える力」を育てている

第6章 フィンランドの「愛国」と兵役

第7章 フィンランドの親は学校とどう関わるのか

第8章 フィンランドの母はなぜ叙勲されるのか

第1章は特におすすめです。少子化問題を解消するヒントになるのかもしれません。

世田谷区立桜丘中学校長の取り組み

東京都の話なので、全国に広がるにはまだまだ時間がかかりそうですが、またすばらしい教育改革をされている校長先生がいらっしゃいます。

世田谷区立桜丘中学校校長、西郷孝彦先生です。

残念ながら著書がないようですので、ネットから集めた情報になります。

SNSやブログなどでよく取り上げられているのですが、まだまだ知らない人もたくさんいます。全国の校長先生にぜひチャレンジしていただけるよう、私たち一人ひとりも情報を広げていかなければならないと思います。

まず、この学校はかつては荒れていたそうです。西郷先生が赴任後改革をすすめた結果、現在も進行形ですが…

・校則がない…ということは、制服もない、持ち物の規制もない

・チャイムがない、何時に来ても帰ってもいい

・教室に入りたくなければ入らなくてもよい

 →職員室前の廊下に用意した机で勉強したり、ハンモックに揺られてもいい。

・校長室も出入り自由

・黒板の写真撮影もOK

と、とても自由なんです。

自由というと野放しのように聞こえますが、もちろんちゃんとした基本があるのです。

西郷先生は、「楽しさを知らなければ、幸福を追求することはできない。だから、楽しい3年間を過ごしてほしい。」というミッションをお持ちです。

なので、校則の代わりに

「礼儀を大切に

出会いを大切に

自分を大切に」

というきまりを設けています。

そして、生徒手帳に子どもの権利条約の一部を掲載しています。

特に管理教育といわれる学校には、子どもの権利はあってないようなもの、治外法権といわれることもあります。

西郷先生は、学校の中だから許されるというのは社会ではあり得ない、場合によっては警察のお世話になることも必要というお考えで、例えば生徒の物がなくなって見つからなければ、警察に連絡するそうです。

社会では当たり前のことが、学校の中では当たり前ではない、かつて社会では当たり前だったが今ではそうでないことも、学校の中ではまだ当たり前…ということを見直した結果の一つなのでしょう。

そして、先生が生徒を一人の人間として大切にするというお考えです。代わりに、生徒にも自分の意見をみんなの前でもきちんと言えることを求めています。

そこで、生徒会で決まったことは必ず実現するよう先生が全力でサポートします。

実際に、定期テストの廃止(千代田区立麹町中学校がすでにしていますね)、

体育館の冷房化、などが実現したそうです。

体育館の冷房化は、教室もそうですが、生徒会が声をあげなくても全国的にやるべきだと思います。体育館は避難所としても使うため、エアコンがついていないと地域の人たちも困るはずです。人が集まるところなのにエアコンがついていない場所って、今の時代にそんなにないのではないでしょうか。予算を最優先でつけてほしいです。日本は教育にお金をかけなさすぎです。

教室の黒板の写真撮影がOKというのは、携帯持ち込み可の高校では普通にあると聞いたことがありますが、西郷先生は、特別支援の考え方を応用されています。

板書を写すことが困難であったり、精一杯で授業の内容が理解できない、だったら、授業の内容にもっと集中できるようにしようということです。

特別支援を、特別支援の生徒だけでなく全員に適応しようという考えは、「みんなの学校」の木村泰子先生とつながりますね。

さらに、この学校には、「ゆうゆうタイム」というのがあります。

これは、「好きな先生を指名して語り合える」という時間。指名されず人気がなかった先生は、大変苦痛な時間になるでしょう(苦笑)。でも、指名されるようになるにはどうしたらいいのか考えるきっかけになります。つまり、「生徒のために」先生はどうすればよいのか、という本来の先生の姿がこの学校では見られるということです。

「教師が生徒に本気で愛情をもって、ひとりの人間として対等に接すれば、子どもにはちゃんと伝わるのだと思います」(女性セブン2019/3/14号より)

と西郷先生はおっしゃっています。

すばらしいですね。校長先生のお考え次第で学校が変わる。こういう校長先生が増えてほしいです。

教養としての世界史の学び方

「教養としての世界史の学び方」( 山下範久編著、東洋経済出版社)という興味深い本を読みました。

「世界史のリテラシー」を学ぶための大学の教科書として書かれたもののようですが、これぞ私が知りたかったことという内容で、社会人の方々にもおすすめします。

学校の歴史の授業は好きではなかったのですが、深く習わなかった近現代の歴史には興味ありです。この本は、何年にどういうことが起きて…という話ではなく、歴史の見方・考え方を問われる奥深い話です。

難解な部分もあり、1回読んだだけでは理解できないのですが、「そうだったのか」という部分も多いので、興味のあるところだけ読むというのもありだと思います。

まず、帯の

『西洋中心史観から全世界レベルで歴史を捉えなおす』

というところに目がひかれます。

池上彰さんも別の本で書かれていたように、歴史は勝ち組目線で書かれている、世界史の場合は、ヨーロッパ中心で書かれているということです。歴史に書かれていない地域は存在しなかった、繁栄していなかったというわけではないのです。

そして、

『世界史は最強のリベラルアーツだ!』

「はじめに」にあるように、この本は、

『世界史の知識を詰め込みなおすことを意図していない』

ので、いわゆる世界史の教科書のような内容ではありません。

求められているのは、

『歴史を見る枠組みのカタログを増やすことへの貪欲さと自分にとっての「当たり前」の規範や価値観の外部に開かれた姿勢だけ』

です。

学校の「当たり前」が、ここでも出てきていますね。

2019年4月に発行されたばかりの本です。今、「当たり前」を見直す大きな流れが来ていると感じます。

リベラルアーツというのは、大学の教養教育のことを指すようですが、社会人の一般教養として知っておくといいことだと思います。

人生100年時代、人は何歳になっても学び続けることができます。

この本を読んだら、世界のニュースの見方ががらっと変わります。見方が変われば、政治の印象も変わってきます。

もうすぐ参議院選挙がありますが、政治家が演説・公約していることの見方もきっと変わるでしょう。

国がいい方向に変わってくれることを祈りたいです。

時間がなくて読めない、難しそうという方のためにも、概観をつかめるよう目次を載せておきます。
実際には一部さらに小見出しがあるのですが、長くなるのでここでは省略させていただきます。

第1部 私たちにとっての「世界史」はいかに書かれてきたか

 第1章 近代的営みとしての歴史学

    科学としての歴史学

    近代歴史学と時代区分

    近代を基準とする歴史観のバイアス

 第2章 近代的歴史記述をいかに開くか

    近代の普遍性と世界の複数性

    近代的歴史記述に対する批判の展開

    近代的歴史記述をいかに開くか

第2部 世界史と空間的想像力の問題

 第3章 「ヨーロッパ中心主義」が描いてきた世界地図

    ヨーロッパ中心主義の2つの水準

    空間認識の「三層構造」の誕生

    三層構造をキリスト教化した「普遍史」

    「普遍史」に突き付けられた3つの矛盾

    18世紀まで世界地図に描かれた「未知の南方大陸」

    啓蒙主義の時代でも「三層構造」は変わらず

    アジアを「停滞した地域」と見なした19世紀ロマン主義

    ヨーロッパ中心的な空間的想像力の遺産

    アメリカの世界戦略から生まれた「東南アジア」の概念

    「地域」という概念の再考

 第4章 アジア史から見る世界史

   注目すべきは多様な生態勘定

   地理的・文化的観点からアジアを4地域に分類

   各地域はシルクロードに沿って交流していた

   寒冷化で統治システムや社会構造が変化

   オリエントはイスラームによって、東アジアは唐によって再統一

   温暖化でトルコ化・イスラーム化した中央アジア

   多国共存体制だった東アジア

   集大成としてのモンゴル帝国

   寒冷化とともに、幹線はシルクロードから海上へ

   大航海時代の到来で明朝は崩壊へ

   大航海時代の落とし子としての清朝

   地中海はオリエントからヨーロッパへ

   環大西洋革命がアジアにもたらした2つの影響

   「法の支配」の起源

   「大分岐」論は正しいか

   現代史を見る視点

 第5章 日本は「東南アジア」をどう捉えてきたか

   ヨーロッパの地理区分

   世界地図は分割できるか

   時代とともに変わる東南アジアの地理概念

   ゾウ、パンダ、コアラに象徴される日本のアジア外交

   歌舞伎『マハーバーラタ戦記』が意味するもの

   戦後、「インド熱」と「ビルマ熱」が高まった理由

   東南アジアへの関与を強めた1970年代

   ASEANの拡大・経済成長とともに

   「東南アジア」をめぐる統合と分断

   「アジア」の中の新しい地域概念

   完全に自立的な地域概念は存在しない 

第6章 大西洋のアメリカと太平洋のアメリカ

   移住者の世界認識

   大西洋に現れた、3つの大波

   第1の波:大規模な自由貿易圏の成立

   第2の波:カルヴィニズム・ネットワーク

   アメリカ・ピューリタニズムの形成

   「大覚醒運動」による熱狂と宗教の世俗化

   熱狂は哲学を凌駕する

   第3の波:ブリテン王国による「啓蒙」というプロジェクト

   『リヴァイアサン』の扉絵が意味するもの

   収斂としてのアメリカ革命

   アメリカという永続的野蛮

   奴隷制度維持のための西部開拓

   アメリカ革命の「プロジェクト」としての南北戦争

   太平洋における帝国主義

   大西洋のアメリカと、太平洋のアメリカ

   アメリカにとっての空間

   帝国としてのアメリカ

 補論 イスラーム世界という歴史的空間

   イスラーム世界の歴史

   歴史学に居場所のないイスラーム世界

   イスラーム世界という枠組みのわかりづらさ

   イスラーム世界という歴史的空間

   イスラーム世界から見えてくる歴史的想像力

   イスラーム教の柔軟さ

   イスラーム世界にとらわれない必要性

   イスラーム特殊論を乗り越える

第3部 社会科学の基本概念を歴史化する

 第7章 「市場」という概念

   「市場」とは何か

   市場に関する神話

   歴史と人類学の研究から

   制度を重視した経済学

   市場と人間の経済の将来へ

 第8章 「市民社会」概念の歴史性と普遍性

   「市民社会」を語ることの難しさ

   近代西洋と「市民社会」概念

   「市民的公共性」とその揺らぎーー後進近代化国家と市民社会

   「第3の社会領域」としての市民社会とそのゆくえ

 第9章 歴史の中の「国家」

   国家とは何か

   主権国家

   国民国家

   「国家」のさまざまな形態

   最後にーー国家についての将来展望

 第10章 戦争と外交

   「戦争」「外交」とは何か

   戦いの主体と目的、手段の発展と多様性

   交渉のあり方の発展と多様性

   おわりにーーグローバル化と国家

 第11章 概念としての家族の流動化

   「家族」という概念の多面性

   近代化における家族概念の固定化

   脱近代化における家族概念の流動化

 第12章 漢字で書き、用いている「文学」

   文学という概念の批判

   翻訳概念としての「文学」

   「文学」の「古さ」

   「文学」と「世界史」

   コラム①科学をグローバル・ヒストリーで捉えなおす

   コラム②混合趣味あるいは忘却されたマルチリンガリズム

 第13章 宗教的交通の豊かさ

   宗教とは何か

   近代的な宗教

   非ヨーロッパ世界における近代的な宗教パラダイムの受容

   ポスト世俗化社会における宗教復興ーー弱い宗教性について

   宗教という概念の系譜学(1)ーー他者の古さ

   宗教という概念の系譜学(2)ーー一神教

   宗教的交通の豊かさを言祝ぐ

外国語学習ー複数の言語を学ぶということ

小学校で英語教育が始まり、世間の英語教育に対する関心が高まっています。

私が英語以外の外国語に触れたのは、大学で第2外国語としてフランス語を学んだのが始まりでした。これが衝撃的な出来事でした。

なぜなら、「英語=外国語」、英語ができれば世界がわかる、と思い込んでいたからです。

それまでの私は、「外国語(英語)がわかる=暗号を解く」のような感覚で勉強していました。無理もありません。授業は英文解釈が中心でしたから。

大学のフランス語の授業は、当時としては画期的な、ネイティブと日本人の先生から、ビデオを見ながら会話中心に学ぶというものでした。

2つめの外国語といい、会話を習うという手法といい、それまでの価値観を大きくひっくり返すものだったのです。

外国語習得にハマった私は、その後、スペイン語やドイツ語も学びました。

ヨーロッパの言語をいくつか学んだことで、英語と似ているところ・違うところ、言語から文化が学べるということ、発音と文字の不一致など、外国語学習の心構えのようなものが少しわかった気がします。

それと同時に、英語が一番理解できる言語なのになぜか嫌いになってしまい、しばらく距離をおいてしまっていました。

社会人になって忙しくなると、外国語に触れる機会もなくなり、私の外国語習得熱は冷めてしまったかのようにみえました。

再び始めるようになったのは、韓国への旅行の後です。

海外旅行に行くと、やはり現地の言葉が少しでもわかるといいなあと思います。

特に韓国語はハングル文字を使うので、街中にハングル文字。あの記号か模様にしか見えないものをなんとか解読したいと思ったのです。

韓国語を勉強してよかったのは、文法が日本語と似ているということがわかったことです。ヨーロッパの言語、アルファベットの文字しか知らなかったので、世界にはまだまだ知らない言語があるんだとまたまた衝撃を受けました。

また、韓国は歴史上ずっと日本と関わりの深かったお隣の国。遠い国の言語ばかり学んで外国語を勉強した気になっていたのに、隣国の言語を全く知らなかった、そして強く興味を引かれたことも驚きでした。以来、中国語にも手を出し、今はロシア語にもチャレンジしています。

中国語を勉強して気づいたのは、日本の漢字と同じようで同じでないものがたくさんあることです。

例えば、天気の「天」という漢字。一画目が長くて、二画目が短いのが日本語。中国語では逆で、一画目が短くて二画目が長いんです。

学校で漢字を習う時、細かいところまで注意されますが、似たような漢字がなくて混同することがなければいいじゃないかと思ってしまいます。

ロシアはヨーロッパに分類されることが多いですが、北海道と北方領土問題がありますし、ウラジオストクは北朝鮮と中国の国境に近いんです。まさに隣国の1つです。そう思ってロシア語を始めました。

歴史とその国の言葉を合わせて学ぶと、点と点がつながります。

複数の言語を知ると、外国語を学ぶ極意がわかります。

外国語学習、これからの子どもたちには英語以外の言語も広く浅く学んでほしいです。「日本語も含めて」。

これは重要ポイントです。日本語についてはまた別の機会に。

昔からあった公立小学校の斬新な取り組み

地域によっては学校を選ぶことができるようになっているかもしれませんが、全国的にはまだまだ住所で学校が決まってしまう公立小・中学校。住所は簡単には変えられないし、地域との関係もあるし、私立はお金がかかるし、どうしても行かせたいという学校が近くにない…

公立の学校は全国どこもだいたい同じような感じだと(勝手に)思っていたのだけれど、そうでもないらしいということに気づきました。

実は今年、他県に引越し子どもが転校したことで、同じ公立でもここまで違うんだということが多々あることを知りました。

そしてふと思ったのが、もう卒業してしまったけれど、公立小学校はどうなの?という疑問。私立小は地方ではまだまだ少数なので、ほとんどの子どもが通うことになりますが、近年言われている地域格差は、最近のことなのかどうかということ。

調べてみると、かなり昔から斬新な教育をしている学校がありました。

他にもあるかもしれませんが、私が見つけた2校を紹介します。

●愛知県知多郡東浦町立緒川小学校

昭和53年に改修し、オープンスペースができました。昭和55年には、ノーチャイム制、1日3ブロックの時間割という、画期的な取り組みを始めました。

緒川小学校のWebサイトで情報が公開されています。

私は学生時代からこの学校のことを知っていたのですが、すっかり忘れていました。見学者を受け入れている学校だったと思いますが、子どもの代になっても、未だに他校他地域へ広がっていないことに驚きました。

●長野県伊那市立伊那小学校

昭和31年にすでに通知表が廃止されている学校です。代わりに、期末懇談会を実施し、直接話し合うことで、学校と家庭の指導を連携させようという取り組みをしています。公開学習指導研究会が毎年行われているようです。クラス名は1組、2組…ではなく、忠組、夏組、山組など、学年ごとにあるテーマに基づく漢字1文字の名前がつけられています。

残念ながらWebサイトはあまり更新されていないようです。

終業式に通知表をもらうのが「当たり前」だと思っていたので、私が生まれる前から通知表がない学校があったことに驚きました。

今子どもが通っている学校は、期末懇談会(三者)の時にもらえるので、伊那小学校の取り組みに近いものがあります。そうすると、終業式に学校に行くということに対する気持ちも変わってきますね。

こうしてみると、子どもに本当に合った教育環境を考えるには、親ももっと勉強し、よく調べないといけないなと反省しました。

学校は、親が通っていた時と変わっていないことに懐かしさや安心感があったりしますが、通うのは親ではなく、子どもです。これだけ時代が変わっているのにいい方向に変わっていない方がおかしいと感じることも必要ですね。

日本に足りないもの…思春期研究

子どもの夏休みが終わりました。

イレギュラーからレギュラーな生活に。

転校した学校では、1週間早く夏休みが終わりました。

学校に楽しく行けている子どもの親にとっては、ホッとするのでしょう。

学校に行きたくない子どもの親にとっては、子どもとともに緊張の週が始まります。

夏休みの間も、ブログこそ書きませんでしたがいろいろ考えたり調べたりしました。

でも、自分が本当に知りたい情報というのはなかなか探すことができません。

本当はあるのに自分が探せないだけなのか、それとも元々ないのか…?

思春期の子育て情報は意外にもないのです。

意外、ではないのかもしれません。子育てに慣れてきているし、子どもに言葉も通じる。自分が思春期だった頃の記憶もある。なんとかこの(大人にとって)大変な時期をやり過ごせば、やがて終わると思いがち。

これが、悪しき慣習が変わらない元なのかもしれません。

いつの時代も、今時の若いモンは…と言われますが、私自身は若い人たちに大いに期待しているのです。期待しなければ、明るい老後が過ごせませんから(苦笑)。でなくても、若い人たちがこれからの日本の未来を作っていくのですから。

若い人たちが、思春期をより良く過ごしていい大人になれるよう、そこを通り過ぎた大人はもっと「正しく」知恵を働かせるべきです。

希望となる記事を見つけました。

NPO法人オール・アバウト・サイエンスジャパン代表理事の西川伸一さんが2018年3月10日に書かれたYahoo!ニュースです。

Natureという総合学術雑誌とその姉妹紙が2月に特集していたのが、「思春期研究の重要性」。

論文をぜひ読んでみたいのですが、とりあえずここでは西川さんの記事を載せておきます。

https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20180310-00082409/

例えば、米国では、

睡眠と循環の大きな変化→学校の開始時間を遅らせる

自我が芽生え、より良いステータスを求め、尊敬されたいという気持ちが高まる→先生も生徒を一人前の人格として尊敬を持って接するように先生が指導される…

というように、思春期の変化に応じて学校の対応を変えているようです。

また、気になった点を挙げると、

・思春期の変化に大きな個人差がある

・この差を生み出す要因として、子供の置かれた社会経済環境が大きい

・社会経済環境、仲間との交流、そして文化が子供たちの思春期に影響する3大要因

・最終的に思春期に受けた変化は、大人へとそのまま移行するだけでなく、次世代にも拡大する

などと書かれています。

日本では、思春期の変化自体はある程度知られていますが、それを考慮した学校体制になっていないのが現状です。

これはなんとしても悪い流れを食い止め、良い流れに変えて行かなければなりません。

でも、思春期研究はまだ始まったばかりだそうです。

生物学、脳科学、心理学、教育学、社会学など様々な領域が関係する研究になりそうです。

文系・理系両方にまたがっています。

西川さんによれば、「21世紀型の学問領域」です。

「学校へ行く」とはどういうことか、根本的な見直しが急務です。今後の重点テーマになりそうです。

氷艶2019と超歌舞伎

これからの日本人は、日本の文化を知ることが大切です。外国の人々とコミュニケーションするために、自分のルーツを知るために、自分の生きている世界を知るために…

とはいっても、例えば歌舞伎は本からの知識だけではよくわからないし、観に行くにはお金がかかるし、眠くなってしまうかも(失礼!)となかなか足を運ぶまでに至らないのです。

ところが、最近の若い⁈方々はやってくれます!

例えば、「超歌舞伎」。中村獅童さんがあの「初音ミク」とコラボするのです。おもしろそう、これなら観に行ってもいいかなと思えます。残念ながら都合が悪く行けなかったのですが、今後もこういう公演が継続的に行われることを期待します。

そして、遠方で行けなかったのですが、本日テレビ放送されました、「氷艶2019」。2017年にアイススケートショーと市川染五郎さんの歌舞伎のコラボ企画があったのですが、それに続く第2弾だそうです。宮本亜門さん演出の「源氏物語」。

そうそうたるフィギュアスケーターと大物役者さんがスケートリンクで共演。役者さんもスケート靴を履いて滑り、フィギュアスケーターも踊りながら歌う、演じる(セリフあり)!

フィギュアスケーターファンとしては、現役復帰した髙橋大輔くんはもちろん、荒川静香さん、鈴木明子さん、村上佳菜子さん、織田信成くんなどのハマり役がとてもおもしろかったです。高橋大輔くんの選手としての演技も期待が高まりますね。

従来からある舞台芸術の、宝塚も生で観るといいと聞き、チャンスをうかがっているのですが、常に何かしらの公演を行なっていると、どれを選んでいいかわからないものです。こういうコラボ企画をスポットでやってくれると、ぜひ観に行こうという気になります。

舞台芸術、実は好きだったことを思い出しました。

おすすめ本ーファクトフルネス FACTFULNESS

図書館で予約していましたが、待ちきれずに買って読んだ本。

ファクトフルネス(ハンス・ロスリング他著、上杉周作、関美和訳)。

世界100万部超の大ベストセラー

ビル・ゲイツ大絶賛、大卒の希望者全員にプレゼントまでした名著

という文句にひかれましたが、これがおもしろいです。

10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

とありますが、データを読むときに思い込みが関係しているという点がひかれました。

10の思い込みとは

分断本能

ネガティブ本能

直線本能

恐怖本能

過大視本能

パターン化本能

宿命本能

単純化本能

犯人捜し本能

焦り本能

です。

心理学的にも興味を引かれます。

個人的には、

①ヒト(人)の扱い方…サーチ・インサイド・ユアセルフ

Googleという世界的に有名な会社のマインドフルネス実践

②モノ(物)の扱い方…人生がときめく片づけの魔法

konmariという新語が作られるほど世界的に影響を与えた近藤麻理恵さんの著書

③コト(データ・情報)の扱い方…ファクトフルネス

が現代を生きる上での3大バイブルだと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?