見出し画像

東工大、早慶理工を目指す受験生へ①

物語の概要

とにかく自分と似た境遇の人の情報が欲しい!

受験を開始した筆者がインターネットを見て思った感想でした。転がっている体験記で詳しいものは、凄まじい逆転合格だったり、あまりに余裕な人のものだったり、といった具合で極端なものが多く公立高校からそこそこの伸びを経験して本番へ臨んだ話がほとんどありませんでした。そんな悩みを持つ同じ境遇の受験生に向けて少しでも力になれたらと思いこの文章を書いている次第です。時期を追って流れを書きその後に細かいことを書いていく形になると思います。使った教材、勉強法の詳細は各々が調べ考えることだと思っているのでここには書きません。要望があれば別のページに書くかもしれません。

時間がある方は流れに沿って読んでいってくれたらうれしいです。結末はに乗っているので急いでいて結果を先に知りたい方はエンドロール3月9日に飛んでいただけるといいと思います。

それではここから本文スタートです。

エピローグ ~高校入学

先にも書いたが筆者の通っていた学校は現役の進学先だと文理合計で東大は2,3年に1人、旧帝大に10人程度、早慶で30人弱を毎年出すくらいの関東圏にある公立高校である。東工大は例年1人か2人かという状態だった。なお全校生徒は300人強、要するに最難関大を目指す人は少数派であり環境は可もなく不可もなくといった具合であった。

部活も重視していたため近さで選んだこともあり高校受験の時はやや余裕があったので大学のことについても調べていた。その時に漠然と理系のプロフェッショナルでかっこいい、と思ったことを覚えているのでそのころから東工大は視野に入っていたのだと思う。入学して最初のテストではおおよそ国語が100番、英語が真ん中、そして数学が9番だった。簡易的な判定だと東工大名古屋大あたりが示されていたので射程圏内にはいたのだろうか。ここから高校生活が幕を開ける

高校1年生

入りたてはモチベーションも高く授業は真面目に聞いていたしテストもそれなりに勉強した。部活では1年生ながら試合にも絡ませてもらっていたので後期からは眠さで起きていない授業もちらほらあった。苦手を感じる教科もなかったため高3最後の進研模試で国数英偏差値は70ほどであった。まだまだ受験など到底考えてはいなかった。またこの年の2月ごろから新型コロナウイルス感染症により授業、部活は中断。空白の3か月を過ごすこととなる。

高校2年生 ~11月

学校も部活もなく家とその周辺に行動範囲が限られた中、ただ時間が流れる日々が続いた。学校からの課題をこなしたり、トレーニングをする一方で豊富に時間があったため受験について調べることにした。そこで得た情報で最も多く述べられていたのが難関大を受けるにあたり、数学Ⅲの予習が必須だということだった。この記事を見ている受験生ならば誰しもが一度は見たことがあるのではないだろうか。行動力はそこそこあるほうだったので数学ⅡB、Ⅲの教科書、参考書を買って独学で進めようとした。前者はそれなりに理解できたものの後者は基礎が固まっていないので極限と微分から進めて積分で挫折する。ここで空白の3か月が終わる。

部活動も主力となりよりハードになる中で授業かなりの割合で寝ていた。成績は中だるみとは言わないまでもやや落ちていたように思われる。受験はある程度気にしだしたので英数物化のテストは力を入れていた。勉強の比重がそのまま反映されたように11月地点で数理は学年トップ層、英語は50番手、国語が100番手くらいだった。

高校二年生11月~部活引退

大きな学校行事も終わり、ここから受験をしっかりと考え始める。とは言っても今まで授業とテスト前以外は一切勉強してこなかったこともあり何をしたらいいのかわからなかった。ネットで参考書などを見てみるが皮算用になるだけだったので学校で扱っていた問題集を一通りやってみることにした。この時の家での勉強時間は一時間程度、とてもじゃないが足りてなどいない。意識が大きく変わったのはその年の共通テストである。コロナウイルスにより再び部活が規制されたので時間があったため東進の同日模試を受けてみることにした。結果は惨敗、習いきっていない理科はともに50点にすら届いていなかった。数学国語と地理は7割8割程度であり、英語はリーディングが7割弱、リスニングに至っては4割を切っていた。基礎を問うてくる試験でこれではスタートラインにすら立てていない。ここでスイッチが入る。

もちろん東工大早慶含めて軒並みE判定である。

画像2

部活を第1に考えていく姿勢は変わらなかったためスイッチは入っているが勉強時間もそれほど多くは確保できていない。数学Ⅲの予習と物理の応用問題を解けるようにするため地元の塾に入った。部活は悔いなく終わりすべての力を受験にぶつけつ事になる。

高3受験期 ~11月

通った塾には運よく東京工大を目指すライバルがいたので東進の東工大本番レベル模試を受けに行った。全教科手も足も出ず総合偏差値は47、まだ遠く及ばなかった。ライバルの子は60程度をとっていて差は歴然だった。ここで全力となり完全にギアが入る。そこから夏休みの勉強時間はあまり覚えていない。起きている時間のほぼすべてを勉強に充てていた気がする。その調子で学校が始まるも勢いは衰えなかった。

11月で区切ったことには意味がある。大学別の模試を大手予備校が次々に開催する時期だからである。ここでは河合塾と東進の東工大模試、代ゼミ開催の慶大プレを受けた。

結果はまずます、河合塾のほうは緊張で空回りしてⅮ判定を食らったものの、かなりCに近いものであったし東進のほうでは第一回と比べて偏差値で61と半年で数値で見て14上げることに成功する。代ゼミのほうでもB判定をとれようやくこのレベルで戦えるようになったことを実感する。この状態で化学と数学はまだまだ伸びしろが大きかったのでモチベーションを保つという意味ではそれなりに満足のいく結果だった。


高3受験期 共通テスト 12月~1月 

共通テストが近くなる時期、共通テストを使うのは東工大の足切り、私大1校、後期の国立の3つであったため当然優先度は低い。ただし共通テストの成功は万が一の時の保険にもなるし今まで自分がやってきたことが間違いではなかったという証明にもなるので二週間程度はやると決めていた。そしてこの時期に塾をやめる。これは驚いた人もいるかもしれない。理由は塾に入った際の目的にある。数学Ⅲの予習と物理の応用問題を解けるようにするための授業が終わり標準問題の演習に入ったからである。自分でやったほうが早くできるうえに時間に空きができる、つまりそのほうが効率が良かっまたまたコロナウイルスを懸念したうえでの選択でもあった。感染すれば受験日程がずれたり最悪の場合受けられない可能性すらある。そのうえ来年に持ち越したとて無事に受験できる保証はないからである。リスクは少しでも避けたかったし現役にこだわりたかった。

共通テストの難化はある程度噂されていたものの予想を大きく上回ってきた。そこまで大きな対策をしてこなかった割にはかなり耐えたほうだと思う。一応だが目標点数と自己採点のおおよその点数も載せておく。あくまで自分が取れそうと思ったから余裕をもって設定しただけなので各々自分に適した目標を設定してほしい。

画像1

目標と大きく乖離している部分の内訳について。リスニング、これは機械のボタンを押すタイミングがずれたため自分が聞くタイミングで他全員の紙をめくる音が入ってくるという悲劇により前半が壊滅したため起こった。ぜひ気を付けてほしい。数学は言わずもがな難化によるものである。とはいえ総合で8割台に乗せていたので最小限の対策の結果としては十分といえるものだった。

高3受験期 私大受験~国立二次試験

寒さもピークに達してきたころ私大の受験が始まった。浪人はしないと決めていたので受験校はMARCHのうち2校と上智理科大の片方、早慶、東工大、後期国立と段階を踏んで受けた。全学部受験をした大学に落ちるという誤算はあったもののあと2校から合格をもらうことができた。ひとまず浪人は回避することができた。次に早慶だが正直かなり緊張した。過去問を解いていても最低点を大きく上回る点数を安定してとることはできたいなかったうえに試験本番の緊張には勉強量や力を大きくひっくり返される危険が伴うからだ。結果としては両校とも合格をもらうことができた。これで当初の目標はクリア。学部の関係から後期の国立は受けないと決め、国立の二次試験を残すのみとなった。

試験は二日間、試験時間8時間半の長丁場である。体力も十分にないと乗り切れない試験だった。一時限目の数学、問題用紙を開きざっと目を通す。傾向が大きく変わっていた。今までと違う。傾向を自分なりにかなり調べていた自分にとっては最悪ともいえる問題のセットだった。何とか食い下がろうとするも最悪の出来で3時間を終える。やめの合図があった瞬間に相当厳しい状況になったことは明白だった。配点の40パーセントを占める最重要科目で難しくなったとはいえ努力を嘲笑うような手ごたえだった。不幸中の幸いではあるがこの状況に陥ることが全くの予想外だったわけではない。英語と理科は大きな失敗をすることはめったにないため。こうなるのならそれは数学だろうというめぼしはついていた。そのために残り3教科を強化してきたのである。まだ諦めない。

その後はそれなりに悪くない手ごたえで英語、物理、化学を終えた。ボーダー付近で引っかかっているかどうかという感触。試験から帰るころにはそれなりに覚悟は決まっていたし。受験が終わった安堵の方が大きかった。

エンドロール 3月9日

結果は不合格。半ば予想はできていたため悔しくはあったがさっぱりと受け入れることができた。早慶の片方に進学することを決めた。

これをもって筆者の大学受験は幕を閉じた。

ここまでで全体の流れは終わりです。②では自分なりに考える良かったこと悪かったことについてです。数日でアップできるかと思います。







 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?