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コミュ障がPTA広報部長をした件 終章 任期終了、これからへ

前回のお話

個人的珍事

 7章までに紹介した事例以外でも、なかなかのミニ事件があった。その個人的に珍事だよと思った事案をいくつかを紹介したい。

  1. 広報紙表紙に業者撮影の写真を使用したく、その写真データ購入を学校(教頭)に依頼したところ、見本写真をスキャンしたデータを渡された。一応、業者には口頭で確認したと言うが、著作権などで問題になることを避けるのならばデータ購入、せめて購入写真のスキャンデータだ。

  2. 紙面の一部ページのタイトルを有名な卒業ソングのフレーズに書き換えを学校側から指示される。引用処理が必要となり、なんか面倒くさい。よく学校だよりで、作詞作曲者名を入れずに歌詞を書いていたのでその流れのうっかりかも知れない。以後、出典元を明らかにして歌詞を記載するようになった。

  3. 表紙のとある写真に学校側からトリミング指示をされて実際にしてみたが、あまりにもヒドかった。昭和の時代は私もまだ幼く記憶が曖昧だが、昭和のオカンが作りそうなおしゃれ?なデザイン。なお、問題原稿をたまたま目にした長男(当時小6)は苦笑いしてダセェと言い放つ。上記2をも含め、広報紙作成において学校側からの度を越したデザイン口出しは無視した方がいいのかもしれない。

  4. 市P広報紙コンクールの大賞受賞作のデザインが、某ゲーム画面と某犬映画のデザインを模したレベルではない(ほぼパクリ)デザイン。特に、後者は著作権に凄くうるさいアニメーションスタジオのもので、よくそんなん手出したな。そして表に堂々と出したな。さらには受賞作に選出したな。

  5. 小学校ホームページのブログ事情を探るため、市内全小学校のブログを閲覧した。とある学校では子どもの顔にモザイクをかけた写真を掲載していた。個人情報保護のためとはいえ、そこまでして載せるのはどうかと思うので、一層のことブログはやめちまえ。業務のスリム化だ。なお、部長任期が終了した後、このモザイク小学校へ1の見本写真スキャンデータを渡してきた教頭*が赴任していった。(*後日判明、学校側ホームページ更新を怠っていた犯人)

  6. 撮影用に使えるPTAカメラが5台あったが、稼働するのは2台。引継ぎ時にどれかが動くと思いますと渡されたっけ。どれも購入から15年を経過しているもので、当時のメモリ規格のメモリが現在終売となっている、メモリの容量(16MB)上撮影可能枚数が写ルンですレベル。うちの温厚な長男(撮り鉄ちゃん)でもキレる容量だ。

真・これを読めばなんとかなる

 年度末の頃、コミュ障はこれ以上PTAと深く関わりたくないので、何をいつどこと手を組んでやればいいかを明記した「真・これを読めばなんとかなる」引継ぎ資料を作成した。もちろん、3~7章で記載した事例と上記珍事によって次年度部長が困らないように、逐一問い合わせてこないように(重要!)は記載したつもりである。いや、常識の範囲内で必要最低限の内容は網羅したと思っている。そして、新年度が始まった直後の週末、この引継ぎ資料と「あとは部長さん次第です」と豪速球を投げつけて、次年度への引き継ぎを終えた。任期終了である。

旧守派は相手にしないくても良いと思います

 私のように PTAの何かに選出され活動せざるを得ない保護者は多いと思う。さらには、専門部などの長を引き受けてしまうこともあると思う。私の経験から言えることとしたら、PTA活動はまだまだいにしえの活動にこだわり、“例年通り”に固執するのがいることを念頭に入れておくことである。このような現役のPTA活動旧守派や旧守派系OG(OBはいない闇)は、「私たちが◯◯◯だったのだから、あなたたちも◯◯◯して」のようなお願いという名の強要を繰り返してくる。私も数回遭遇したが、目的が明らかなもの以外は全て受け流した。貴重なご意見として承り、運営する上で最低限必要な案件に限定し受け入れ、あとは知らんで濁しておいた。こいつらの要求に付き合っていると、時間は喰われる上、身も心もすり減り荒んだ日々を送ることになる。令和4年(2022年)は21世紀になって四半世紀近くになろうとしていて、20世紀ではない。平成34年でもなければ昭和97年でもない。旧守派に従って平成なり昭和なりの活動を続けるのも自由だし、効率を重視した令和型の活動してみるのも自由だ。ただ、コロナ禍となって自粛方向ではあったが活動の見直しはできたのだから、令和の時代にあったPTA活動、PTA広報となるのを目指してやってみるのは大変だけど有意義ではなかろうか。

おわり

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