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「優秀な人」の正体

僕はそれほど学歴が高くない。
高校時代、最後に受けた模試の偏差値は確か42くらいだった。

外コンに来てそれなりに時間が経過した今、改めて振り返ると、周囲の学歴に驚く。

早稲田とか慶応がすごいのは知っているが、それより上になると正直序列がわからない。
高学歴界隈に疎いので、旧帝大は全部言えないし、一橋大学というのは皆が噂するがたどり着くことはできない架空の大学だと思っていた。

だから、アメリカのパブリックアイビーがどうのとか、シンガポールでアジアナンバーワンの研究がどうのこうのと言われても、もはやそれがどのくらいすごいのかよくわかっていなかった。

業界によっては未だに学歴によって昇進に制限があるところも存在するが、外コンは入社してしまえば全く関係ない。
仕事にマッチしていればどんどん評価されるし、そうでなければ淘汰されてしまう、他業界と相対的に見ればある意味ちょっとだけシビアな世界だ。

評価と関係ないからこそ、普段学歴を気にして会話することはないし、仕事で意識することもない。
ただ、「優秀だな~」と思うチームメンバーのプロフィールをふとした時に目にすると、やはり彼らの学歴はとてつもない。

学歴と仕事の出来不出来に相関関係があるとは思わないが、社会的な成功者を見ていても、仕事の成功と学歴的な成功には、いくつかの共通点はあるのだと思う。

そしてそれが、「優秀」だと感じさせられる点なのかもしれないと思ったので、メモの意味も込めて書いておく。

1、悩みが具体的

1つ目は、悩みが強烈に具体的であるということ。
「AとBどっちがいいかなあ?」とは悩まない。

「Aという選択をすると〇〇が得られて△△が得られないが、Bという選択をすると△△が得られる代わりに◇◇が得られなくなる。
今回の場合はAを選ぶのが~~の観点から最善だと思うけど、どうかなあ?」という悩み方をしている。

この解像度や粒度が恐ろしく細かい。
だから、仮説の質と量が常に担保されていて、情報の取り方やアクション判断が早くて精度の高いものになる。

もう少し具体的に言うと、普通の人は「カレーとハンバーグどっちにしようかなあ」と悩む。
だから、都内のおいしそうなカレー屋とハンバーグ屋を無限に調べて、時間が無くなったからランキング上位の店に行って「高い」とか「おいしくない」とか言って「口コミサイトはアテにならない」とかいう的外れな感想を抱く。

優秀な人は「移動費含めて予算2,000円で、新橋から徒歩10分以内で女性がいても嫌がらなさそうな雰囲気のお店にしよう。ビーフシチューが看板メニューのカレー屋か、牛100%で和風ソースが選べるハンバーグ屋がいい。店をピックアップしておいて、どちらへ行くかは誘った人の好みに合わせよう。カレー屋だと汚れやすいし、ハンバーグは匂いが気になるだろうから、前掛けナプキンをもらえたり、換気がいいお店を友達に聞いてみたらいいかなあ?」と悩んでいる。

こうやって悩むと、ぴったり当てはまる店がなかったとしても、優先すべき情報や判断することが明確なので、あっという間に候補を出し終わるし、誘いやすい人も明確だし、何より誘われたほうがわかりやすくて行くかどうか決めやすくなる。

行ってみて合わなかったとしても、「和風ソースって店によって違うのか、次回はもっと細かくどんな和風ソースなのか写真を見て調べよう」というように、適切な振り返りと方向修正ができる。

これは聞いた話によると、受験戦争でもある話らしい。
合格しない人は「東大か慶応かマーチあたりに行けたらいいな」というような悩み方をしていて、抽象的すぎるのだとか。
逆にどこでも合格できるような人は、大学の過去問の出題傾向や受験するライバルの得意分野、配点の高い問題や合格するために必要な最低ライン、自分の体調管理、コンディションの上げ方などをものすごく具体的にイメージした上で、「東大は~~、慶応は~~、だからこうすれば合格できると思うけど、どうかなあ」と考えているそうだ。

僕は高校時代は「どこか大学に入れたらいいな、入れるかなあ、行けなくても最悪しょうがないか~」くらいのテンションと粒度で悩んでいたので、そりゃ受からないな、と思った。

2、基準を自分で当然のように上げる

2つ目は、基準を自分で高~く上げられること。しかも息をするように。
100点の成果を求められたら120点を目指す、3案欲しいと言われたら10案考えて3案に絞る、2週間の納期なら1週間半で終わらせて残りは付加価値を考える、というようなことだ。

これは特に海外のマスター以上を取得している人に見受けられる傾向だが、とにかく基準が高い。

おそらくは周囲が「そのへんの地元の大学でも食いぶちあるからいーや」と言っている中、世界中の猛者たちと競って勝ち上がることを選択した人たちなのだろう。
人よりも基準を高くし、より優れた成果にこだわることが完全に習慣になっている。

しかもそれを求められてなくてもやる。120%達成しろ!と言われてやるのではなく、勝手に必要だと考えて行動する。

自己啓発本やセミナーやオンラインサロンで刺激を受けて、一時的にハイになってそういうことをできるようになる人は多いが、これを恒常的に当たり前に、どんなに疲弊して夜中3時でも、ずっとこんな状態を保てる人は少ない。
ゆとり世代どんぴしゃで過ごしてきた僕からしたら、とんでもない狂気だ。

しかし、当たり前だが、彼・彼女らはものすごい成果を出す。
一回あたりでは20点の差でも、半年経つと化け物と中の下凡人くらいの差が付いている。

3、心の拠り所がある

これは前の2つと比べると、自助努力ではどうこうしにくいことなのだが、長期的に高いパフォーマンスを発揮する人は、家庭が安定している人が多いと思う。

家庭に複雑な事情を抱えていたり、問題を抱えている、あるいはそもそも家庭がないような人で、高い成果を出す人は、たいてい家庭以外に、何でも言えるコミュニティや友人・恋人を持っている。

仕事で成功しなくても、自分を肯定してくれる人がいるかどうか。
個人的にはこれが最も大きく人の成功に起因していると思う。

漫画「アオアシ」でも、主人公の母親は主人公に対し、「もしサッカーで成功しなくても、あなたは私の誇り」と手紙を書いているが、これがまさに成功を大きく後押しする。

トマ・ピケティはじめ、「資本をたくさん持つ人がリスクを取りやすく、資本をどんどん増やせる」ということを証明した人は多々いる。

一方で僕が思うのは、「精神的な余裕」についてもおそらく同じことが言えるということだ。

失敗しても受け入れてくれる場所や人がいることが、他の人間関係や他の成功基準でリスクを取りやすくし、逆にその安心がない人は、他でも失敗したらどうしよう、居場所がなくなると考えるので、積極的に挑戦しにくい。

結果、精神格差が広がり、安定した家庭やコミュニティを持つ人ほど、どんどん次なるコミュニティを持って成長の基盤をつくっていきやすい。

東大生にマザコンが多いというのも、定性的ではあるが一つの裏付けかもしれない。

まとめると、優秀な人とは、次のような人だと思う。

1、悩みが具体的
2、基準を自分で当然のように上げる
3、心の拠り所がある

1と2は後天的に習得できる。
3については、僕ができそうなことをいろいろと模索している。

ノウハウやハウツーのナレッジは世間にゴロゴロ転がっているが、そもそもの精神的な支えをどう形成していくかは議論されにくい。

おそらく成功者はこれを無意識に手にしているからだろう。

不景気で安定しない家庭は増えるだろうから、ここを真剣に考える機会を増やしたいと思う。

今日はここまで。

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