35.Yちゃんと塾と私

 M学園小学校は、私にとって3度目の学校。
正直、勉強ができる子ではなかった。
でも、私は“勉強ができない” という自覚がない、というところが何とも幸せな脳の持ち主。

母は、
「家の手伝いはいいから勉強しなさい。」
と言うのが口癖。
私は勉強は嫌いなわけではなく、母に言われる前に率先して宿題もして、それなりに一生懸命頑張っていた。
私は、サザエさんちのカツオくんタイプではなく、ワカメちゃんタイプで、夏休みの宿題も、計画を立てて、観察日記とか以外は、できるだけ7月に終わらせたい、という気持ちで頑張った。

5年生の夏休みの宿題は、とにかく量が多い。
算数なんて、ドリルとかの薄っぺらいものではない。
B5サイズの1cmくらいの厚さの問題集が2冊。
他のものは自力で頑張るとして…
仲良しのYちゃんと、算数一冊づつやりっこすることにした。

こんなに頑張っているのに、成績は芳しくない。
母は言った。
「きっと実力が出せないだけよ。
方角が悪かったかしらねぇ…。」

母がそう言うのだから、そうに違いない

と思っていた。

でも、成績が悪いことに変わりはないので、E先生は面談の時母に、塾通いを薦めたらしい。
「学校の順位で、まさえちゃんと、Yちゃんと、Wくんの3人が一番下を競ってるんだって。
だから、塾に行ってみますか?って、言われたわよ。
Yちゃんと一緒に先生が薦めてくれた塾に通ってみる?」

私は正直、通信簿の点数もそんなに悪くはないと思っているので、おそらく…クラスのみんなが頭良すぎたのではないかと……、勝手に解釈したりして…。

まぁ、塾に行くのも悪くないかな。
Yちゃんと一緒に行くなら楽しそうだし。

クラスの大半の子が、四谷大塚に通っていた。
あそこは成績が優秀な人しか入れないし(たぶん)、途中からも入れない。

でも、体験というのがあって、四谷大塚の公開テストみたいなものに、一度行ったことがある。
気が進まなかったが、母に連れられてテストを受けに行った。

大学みたいな大きな教室。
幾つも教室を使って、たくさんの生徒がテストを受けにきていた。
そこで、良い成績が取れると、四谷大塚に入れる。

母は
「まさえちゃんは、たくさんの人がいる教室で勉強するより、少人数の方があってる」
と、私に言ったので、テストの点が悪過ぎたのだと理解した。

私は小学一年生から塾へ行っていた。
その時は、D大学附属の小学校へ通っており、部活もあるし、英語の授業もあった。
そのためか、母は私を英語の塾へ通わせた。

田無の自宅から橋場行きのバスに乗って、週に一度通っていた。
古いグレーのビルの2階が教室。
狭い教室には、小学校低学年の生徒が20人くらいはいたと思う。
塾では友達はいなかったから、黙々と授業を受けて帰る…という感じ。

先生は、そんなに背が高くなくて、細い体型でサラリーマン風な、おじちゃん先生だった気がする。

先生に言われるがままに、ひたすらアルファベットを筆記体で書いた。
りんごやみかんの絵があって、単語を記入するのも、筆記体でなければならない…覚えられない…
bとd、そしてpが混乱!!
よく間違える。

結局、この英語塾は引っ越しと共に辞めたので、長い期間は通わず終了。

私はYちゃんと塾に通うことになった。
E先生は、私たちのレベルを考えて、学校帰りに通る駅の近くにある “ほるぶ” という塾に通うことになった。

私たちにとったら、学校の延長のような…
本当に成績が上がるような勉強になるのか…
ちょっと疑問だったが、二人でいたら楽しいし、ちょっとワクワクした気分だった。

…続く……✏️


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