59.母の入院

 救急車が病院へ着くと、母はそのままレントゲン室に運ばれた。
父と私は廊下の椅子で待っていた。
レントゲン室から、母の悲鳴が聞こえてきた。

レントゲンを撮るために、あの硬い台の上で、体の角度を変えたりされていたのだと思う。
私は、胸のレントゲンしか経験がなかったので、当時は中で何をされているのか分からず、不安で待っていた。

暫くして父が呼ばれた。
ひとりで待っている時間がとても長く感じられた。

母の悲鳴が聞こえなくなり、ホッとしていると、ストレッチャーに乗せられた母がレントゲン室から出てきた。
母の体には、おしっこの管が入っていた。
これは、テレビで見たことがあったので知っていた。

ストレッチャーを押している看護婦さんが私に声をかけてくれた。
「お母さん、病室に行くからね。」
私は何も言わずにうなづき、そのあとについて行った。

母が入った部屋は、8人ほどの大部屋だった。
病室に着くと、父が戻ってきた。
「先生はまさえの話が聞きたいって。」
看護婦さんが担当の先生のところへ私を連れて行ってくれた。

部屋へ入ると丸顔の少し太めの優しそうな先生が
「座ってね。」
と椅子をすすめてくれた。

シャウカステンには数枚のレントゲン写真が貼られていた。
私には全然分からなかった。
先生は、それを説明すわけでもなく、色々私に質問をした。
「お母さんは腰が痛いって言ってた?」
「いつから痛いって言ってたのかな?」
「お母さんは転んだりした?」
「病院には行っていたの?」
「なんて言われていたかわかるかな?」

私は、今年に入ってから腰が痛いと言って、近くの内科に行っていたこと、
痛みが良くならないから何度も先生のところに行っていたこと、
でも湿布しか出してもらえなくて、知り合いにはレントゲンを撮ってもらった方がいいと言われていたこと、
転んだのは見たことはないが、9月に入ってから歩けなくなったこと…
などを話した。
神様の軟膏のことは話さなかった。

先生は首を捻り、顎に手を当て考え込んだ。

おそらく、私が話した内容は、すでに父が話していた内容と同じであったらしく、もっと他のことが聞きたかったようだった。

「わかった。
もういいよ。」
優しく先生は私に言ったけど、きっと先生にとって私とのこの時間は、あまり有益な時間ではなかった様子。

なんの役にも立てなかったな。
ママにも先生にも。

わたしは何をしたらよかったんだろう。

考えを巡らせても…何も答えは出ず、かえって落ち込む結果となった。

母の病室へ戻った。
母は、ベッドの上で、母の体に合わせて作られたであろう硬い石膏のような物の上に寝かされていた。

「腰の骨がね、ボロボロなんだって。」
父が私に言った。

あ〜だから、先生は転んだかどうか私に聞いたのか〜
転んだだけで、骨がボロボロになるの⁇
私はしょっ中転ぶけど、骨は折れないなぁ…

「だからね、ベッドの上には寝られないから、体のギプスを作ったんだって。」

ママはこんな硬いのに寝てて痛くないの?

聞き返してみたけれど、父は話をやめてしまった。

今とは違い、昔は付き添いさんがいた。
動けない患者さんや自分で身の回りのことができない患者さんには、付き添いの方を付けるよう、病院で言われる。
今考えれば、母はそう長くはないことを知っていたからなのだろう。
「お隣の方の付き添いさんが、ママのお世話もしてくれることになったよ。」
と父が教えてくれた。

その付き添いのおばさんは、例えると…
クレヨンしんちゃんに出てくる “隣のおばさん(北本れい子さんというそうです)” のような感じ。
とてもテキパキしていて、体型からも喋り方も、頼り甲斐のありそうな人。
私の事も気にかけてくれて、よく声をかけていただいた。

母の病状を何も聞かされず、しかも無知、プラス能天気な私は、母が家に帰れるものだと信じて疑わなかった。
父に聞いても
「ママは病気が良くなったら家に帰れるよ。」
と言うので、病院の先生がママの病気を治してくれると、ずっと信じていた。

…続く……🛏️


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