60.母の言葉

 私は、母の病状を何も聞かされておらず、しかも無知、プラス能天気な私は、母が家に帰れるものだと信じて疑わなかった。
父に聞いても
「ママは病気が良くなったら家に帰れるよ。」
と言うので、病院の先生がママの病気を治してくれると、ずっと信じていた。

私は学校が終わると、そのまま病院へ行き、消灯まで学校の宿題をやったりして母と一緒に過ごした。
私は学校での出来事を話す。
母は何も話さないけれど、穏やかな顔でうなづいてくれる。
入院するまでのことを考えると、母と過ごせる時間は静かでホッとする時間。
私の心も穏やかだった。

家に帰ると、父が作ってくれた夕食を食べ、宿題は、大体病院で終わらせてくるので、ピアノの練習をして寝る。
ピアノの練習は欠かさなかった。
小学3年生の時に母と約束したから。

毎日ピアノを弾くこと。

母が家に帰ってきたら、また聴かせてあげたい。
ピアノのA先生が、
「まさえちゃんの音、先生は好きよ。」
と言ってくれた。
この音をママに聴かせたい。

だから、たくさん弾いた。

毎朝、Iちゃんは、
「お母さんの具合、どう?」

「お母さんが退院したら、また遊びにおいでよ。」

Iちゃんは優しい。
いつも声をかけてくれて、気にしてくれて。
私に向ける彼女の言葉は多くない。
ただそばにいる時に、その時の適切な言葉だけを私にくれる。
それがとても心地いい。

クラスの友達には、本当のことは話していない。
Iちゃんにはある程度話をしていたが、他の子は気を遣っているのか、誰も聞いてこないし、たまに聞かれても話題をそらしていた。
誰かに話したところで、同情とかされるのは嫌だった。

 私が好きな授業は音楽と家庭科。
後は…苦手。
家庭科では刺繍を習っていた。
アイボリーのランチョンマットに刺繍をしていた。
(note 43.の終わりに出てくるランチョンマットは、小学校6年の時のものではなく、もしかしたらこの時に作ったものかもしれないと思い出しました。)

まだ刺繍途中のランチョンマットを母に見せたくて、そのまま学校から持って帰ってきた。
母が入院して一週間ほどのこと。

喜んでくれるかな
褒めてくれるかな

母に見せたが、眠いのか少し目を開けて私を見て、また目を閉じてしまった。
入院してからだんだん私のことがわからないのか、何を話しているのか、母の言葉が理解できないことが増えてきた。

今まで痛くて眠れなかったし、きっと疲れたのかな

そう思って、母の傍らで刺繍の続きを始めた。
ひと針ひと針丁寧に進めていく。

付き添いのおばさんが私に声をかけた。
「お嬢さんは中学3年生?」

私はついつい

はい

と、答えてしまった。
訂正する間もなく、
「じゃあ、お勉強も大変ね。
毎日、ここでお勉強しているものね。
頑張ってね。」

違うよ〜
わたしは中2なんだけど、どうして間違えちゃったんだろ〜
でも…ま、いっか
そのうち言えばいいかな

わたしはまた、ランチョンマットの刺繍の続きを始めた。
すると、急に母の目が開き、ゆっくり私を見た。
私と目が合うと、母はにっこりして
「まさえちゃんは、お姫さまね。」
そう言った。

え…え?
お姫さまってなんだろ

ママ、わたしはお姫さまなんかじゃないよ

そう言ったけど、母は
「お姫さまね。」
とまた言い、静かに目を閉じた。

謎だ…
意味がわからない

考えても母の言葉の真相はわからない。

おそらく、何の意味もないのだろう。
当時は母の病状について何も聞かされていなかったから、母の言葉は意味があるものと思っていたが、実際の母は病気のせいで、意識障害があったと考えられる。

ママの病気はいつ治るんだろう…
毎日眠ってばかりいるし、わからないこと言ったりするし、いつおうちに帰れるんだろう…
パパに聞いても、治ったら帰れるよって言うけど、いつ治るの?

いつか家に帰ってくると信じていながら、心のどこかで言いようのない不安があった。
でも、その思いに気付かないフリをしていた。

…続く……👸


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