ガンと言われて何か変わった?
相変わらずお蕎麦は好きだし、特に変わった気はしないけど~
まぁ、冗談はさておき。
「あなたガンですよ」と言われてから何か変わったのかなぁと振り返ってみた。
それまでの僕は「明日死んでも良い」感じで生きていた。なのでその日あった人と別れる時は出来るだけ笑顔で楽しく別れた。家族が出掛けるときも必ず玄関まで見送りに行き「いってらっしゃい」を言った。それらは全部自分が後悔しないためだった。
毎日は割と退屈でこれと言った目標もなく、仕事も生活出来たら良いやんぐらいの感じ。ただいざ仕事に入ると一生懸命やってしまいクタクタ。休みも仕事のことを考えたり少し持ち帰ったり。そんなことを何十年か分からない、やってたのかな。
「あなたガンですよ」と言われて、「明日死んでも良い」が「いつか必ず死ぬ」に変わった。急に死ぬ瞬間のことを考えた。痛いのかな?苦しいのかな?
そしてそれはいつなんだろう?
軽く考えていた死が突然目の前に来たような感じ。いや、いつか死ぬことは分かっていたけど、より現実的になったんだな。
でもこれは仕方ないことだとも思えた。じゃあその日までどう生きようか?
出来ることは全部一生懸命やって、会える人には会って、要らないものは捨てて、残したいものを遺す。
そういうことにした。
今、仕事が休みの日は予定の無い日はない。必ず何かをするようにした。
バイクにも乗る。雨なら雨で出来ることをする。行きたいところに行く。
これまでスマホでとった写メや動画は、機種変すると無くなってた。撮ったところで振り返ることなんてほとんど無かった。だから何もどこにも残らない。
YouTubeを始めた。
行きたかったところ、行ったところ、思ったこと、感じたこと、伝えたいこと、ただ見て欲しいこと、そんなことをスマホと共に消してしまうんじゃなく、どこかに残るようにした。
きっとおそらく僕がいなくなっても、YouTubeチャンネルは残るだろうから。もしそれを誰も見なかったとしてもそれはそれで良いじゃん。
そんな感じだから、皆さんに受けるような動画はあまり作れていない。きっと自己満足が邪魔をしてる。
でも1つだけ目標はある。同じような病気で外に出られない人、どこかに行きたいけれどそれが叶わない人、そういう人がもし僕の動画を見て、出掛けられた気持ちになったり、少しでも癒されたり、あるいは暇潰しの材料にでも成れたらそれで良いと思ってる。
自分がガンになったことで、いつでも死んで良いとは言えなくなってきたかもしれない。
ひょっとしたらやらなくちゃならないことをやっていないかもしれない。
感謝の気持ちをちゃんと伝えていないかもしれない。
何をすべきかよく考えて出来ることをするようにしたい。
ひとは知らず知らず、たくさんの人に支えられて生きてきている。だから少しでも誰かを幸せな気持ちに出来たら、お返しが出来てるのかなと思う。
「あなたガンですよ」と言われて変わったことがあるとすれば、より生きることに積極的になったことかも知れない。
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