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弱者を利用する活動家

イオンシネマでの車椅子利用者への対応とそれに対する世間の反応が論議をよんでいる。スタッフの人力による介助でプレミアムシートの鑑賞をしていた車椅子利用者がが、シネマ側がこれ以上の対応は出来ないので車椅子対応の施設、シートを案内したところクレーム、論議になったというもの。こういうの、どこかで見たようなデジャブ=既視感。

数年前、同じく車椅子利用者であった社民党常任幹事の女性が無人駅での利用をめぐり、鉄道会社側の対応に不足があったとしてクレームをあげたことがあった。どちらも、弱者である障害者の権利をないがしろにした、という議論が提起され、鉄道会社、映画館側に非難が向けられ、更に日本社会が悪い、と主張を拡散するものである。ちなみに、今回、映画館が対応した車椅子ユーザーはれいわ新選組と親しいインフルエンサーだった。

ちなみに、無人駅での件についてはこちらの記事に詳しく経緯が書かれている。

簡単にまとめると、無人駅を利用しようとした車椅子利用者が近隣の有人駅の駅員に車椅子で運んでもらったが、待たせたことでクレームを挙げ議論に火がついた。障害者対応がスムーズになされていない、日本は弱者に冷たい社会だ、というものだ。

どちらも、車椅子の人たちに対して現場の労働者が精一杯、可能かつ不足ない対応を行っているという点がある。そして、車椅子を使っていても、この現場の係員の対応でじゅうぶんに鉄道利用、映画鑑賞は滞りなくできたはず、というのが認められるのだ。

そうなると、現実には弱者に冷たい、のではなく、弱者に優しい対応をしても、不便なことがあればひたすら批判し炎上させる、ということだ。わかりやすく言えば、100点満点で80点の対応をしても20点のミスがあれば徹底的に叩く。健常者であっても百点満点のサービスなどそうそうない。

こうした主張はもはやこれは弱者の権利を守るとか、弱者に優しい社会を、ではなく、単に弱者を利用したて社会が悪い、政治が悪いという活動にしか思えない。また、弱者を叩くな、という議論も見られるが、圧倒的大多数は弱者を叩いているのではなく、そうした弱者を傘に着る活動を叩いているのでは?例えばこれ。高知東生さん、ピントがずれてますよ。

やはり既視感を覚えるものがLGBTを利用する活動家。こちらも、マイノリティ、性的少数者たちを利用して社会の分断と不安定化を目論んでいる印象だ。こうした弱者を政治利用する活動家がいると、かえってLGBTや障害者のかたがたに不利益をもたらしかねない。今回のような事件が起きるたび、ああ、弱者に関わると面倒だな、という空気が生まれたり、人々の間に溝ができたりするのが怖い。活動家こそ弱者の敵。

最後に、少し長いですがこちらのポストもご参考までにどうぞ。


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