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れいわ新選組~救いたいけど救われない

先の記事で能登半島被災地での活動をパフォーマンスと評したけど、れいわ新選組はパフォーマンス好き。ここが、職人的な理屈をこねる参政党と大きく違うところ。右の参政左のれいわ、理屈の参政情のれいわ、といったところかな。

で、このパフォーマンスを武器に多くの人にアピールするわけだけど、その先にあるものは多くの人を救いたい思いらしい。批判している人も救いたい、あなたを幸せにしたい。

しかし、その思いが周りにはリスクになることもある。能登震災での現地での活動。福島産品を”ベクレル”と評して反原発活動をしたこと。ベクレルについては謝罪というか言い訳をして支持者は納得したらしいが、一般の私たちにとっては迷惑な話だ。特に福島の人たちに残した爪痕は大きい。

自分は他人を幸せにするためにしている、だからいいんだ、と正当化するあたり、一種の宗教的なものを感じる。かつてサリン事件を起こし多くに人命を奪ったオウム真理教は、救済する、という言葉を多用した。時にはポア(殺害)で人を救える、と説いた。

だかられいわ新選組がオウム真理教と同じだということを言ってるのではない。救う、という独善的な考えのもとで自分の行為、価値観を押し付け、他者の迷惑を考えない。ここがカルト的なものだ、と言いたいのだ。

れいわ新選組のパフォーマンスのひとつである、集団でのダンスにも宗教的なものと共通点を感じる。参考までに、中世室町時代には踊念仏という、当時の新興宗教であった浄土真宗も同じようにパフォーマンスによって布教活動を行っていたという歴史的事実もある。

https://twitter.com/ZMBLb7B9fV7xKpN/status/1671108631398588416

自分たちは悦に入って、私たちを理解しない不幸な人たちを救いたい、幸せにしたいと思っているのだろう。でも、大多数の人から見れば白けてたものでしかないい。

かくしてれいわ新選組はますます世間から孤立し、狭い支持者によって一定の議席をキープして生きながらえる。参政党と同じ地下アイドルの道を突き進むのだ。

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