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摂食障害25周年!⑱

「食べて吐いて切って」


重力とは恐ろしい。
人間、思考を放棄すると重力に引っ張られてネガティブになる。
現にネガティブな表現には「重い」という表現が多い。
重さを感じる星にいるのだから、それは必然なのだ。

ポジティブ思考は重力に逆らう力だと思っている。
輪ゴムを伸ばすように上へ上へ。
手を離すと勢いよく元に戻る。
思考を捨てれば人は自然とネガティブになる。

底なし沼なのだ。
立ってるだけで下に下に引きずり込まれていく。

この思考を捨てたネガティブ思考のなにがすごいかって、見るもの聞くもの触れるもの全てが不快になる。
晴れ晴れした日のお天道様も。
聞きなれたベストヒット曲も。
座り慣れた車のシートも。

全てが不快になる。

褒められても皮肉に聞こえ。
賑やかなショッピングセンターを歩くだけで一人一人が障害物に見え。
空調すら不快感を覚える。

食べるとき。
吐く時。
腕を切る時。

自分に集中してる時間が一番楽になれた。
夢中になって食べ。
夢中になって吐き。
夢中で腕を切る。

私にとってこの行為が、バッティングセンターであり、カラオケであり、ライブで大声をあげることであり、ゲームをすることであり、映画を観ることであり、旅行に行くことである。

自分の中の真っ黒な何かを吐いて出す。
自分の中の真っ黒な何かを切って出す。

誰も彼もか当たり前にやる、ストレス解消の方法だ。これが私のやり方だ。

誰かに怒鳴り散らしてすっきりできたらどれだけよかったか。
物を投げて叩いて壊すことができたらどれだけよかったか。

誰にも迷惑をかけたくない。
何も壊したくない。

人間関係が乱れるのが面倒だった。
壊したものの後片付けが嫌だった。

だから、自分の身体1つで済む方法を取ったのだ。

たくさん食べることも。
たくさん吐くことも。
たくさん腕を切ることも。

私以外は苦しくない。
私以外は知らない。
私以外は悲しくない。
誰も困らない。
なんて平和的。
他人を傷つけて何が楽しいのか理解できなかった。
他人を批判して何が嬉しいのか理解できなかった。

自分の気持ちを相手にぶつけたところで何もすっきりしないだろう。
理解して貰う気もないのに。
だったら自分のことは自分にぶつければいい。それが一番楽だ。
私の中で何が起きようと。
外のみんな何も知らない。
何も変わらない。

今日も私の周りは何も変わらない。
どれだけ食べて吐いて血を流しても。

誰も私を知らない。

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