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新しいことを始める

今年はエッセイを書きたい、と思い早3ヶ月が過ぎた。
いや、違う。今年は『書く』年にしたいと思って、何を書こうか考えていたのだ。

そうして3ヶ月が経ち、ようやく1つ答えが出た。そう、エッセイだ。昔からエッセイはすきであった。さくらももこさんのエッセイ「もものかんづめ」が家の本棚にあり、読んでみたらとても面白かった記憶を、今さっき湯船に浸かりながら読んでいた雑誌にちょうどその本が出ており思い出した。

もちろん、それ以来エッセイを読んでこなかったわけではない。今でも定期的に読んでいる。
(三浦しをんさんが好きです)
益田ミリさんの、旅に行った時のことを書いているエッセイ本を読んで、こういうなんてことない感想を「あぁ、あるある」とこちらも思いながら読んでいると、その感情を文章にすることが価値になるんだなぁと思ったりするのである。つまり、共感できる体験を生み出した人にこの世界はお金を払うのである。

そして今、私もその共感を生み出す側に立とうと決意を固めた訳である。(実際には、素っ裸で湯船に浸かり、身も心もゆるんでいる状態なのだが)

そうして、いよいよ、エッセイストとして誕生の運びとなったのだ。

さて、今回のテーマは『新しいことを始める』である。

これは、なかなかに行動に起こしづらい行いであったりする。
よく、「新しい扉を開く」と表現したりするが、まさに言い当てていると思う。
行ったことのないカフェの扉を思い浮かべてほしい。店内の様子は、外からでは確認できない。どんな雰囲気だろう…、開けてみて想像と違ったらどうしよう…などと考えて、なかなか目の前の扉を開ける勇気が出ない経験は、誰しも一度や二度はしたことがあるのではないだろうか。
そこで、勇気を出して開いてみるのか、いいやいつもの行き慣れているカフェでと、後ろを向き去ってしまうのか。
もちろんどちらの選択をしても本人の自由である。しかし、今回はテーマになぞらえて「新しい扉を開けた」方に焦点を当てていきたいと思う。まず、私が思うに、その扉の前に立っている時点で物事の本当の始まりはクリアしていると思っている。あとはドアノブに手をかけて回して押すだけなのだから(または横にスライドするパターンもあり)、行い自体はとっても簡単である。では何に躊躇しているかというと、ハズレの店だったらどうしようということである。でも、仮にハズレの店だったら中に入らず「すみません、間違えました」と引き返してもいいし、そんなこという勇気がないならば、これもひとつの経験、いつもの店の素晴らしさが分かったぞと、そう捉えてしまえばいいのである。
つまり、人は物事に完璧や正解を求めすぎて身動きが取れなくなってしまう場合があるということだ。

さてさて、ここまで私も、エッセイストとなり初の文章を書いてきたわけであるが、唐突ではあるが今回はそろそろ終えたいと思う。

何故かというと、前述したように完璧に伝えたいことを書いてしまうと次の文章が書けなくなりそうだからである。(そもそも完璧に伝えるとは?)
あれも伝えたかったなぁくらいに、毎回留めておくことを心掛けてみようと思う。
(ちなみに、昨日食べた中華のお店では、一緒に行った方から『一度やり過ぎを経験するのもいいですよ』とアドバイスを受け、たらふく食べた後に〆の炒飯を独り占めした結果、満足したので、次回の来店までは少し期間が空くかもしれない)

何事もほどほどに。
今回は、3ヶ月前に辿り着いていた目の前の扉に「エッセイスト」とネームプレートを付けてみたところで終えようと思う。
次は中を覗いてみよう。お楽しみに。

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