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お別れの会とまでは言いませんが

Twitterでバズっている投稿のコメントを読むと
一つの出来事でこうも考えが違うのかとびっくりする。当たり前なのだが。
ただ本当に様々で、時には「は???怒」と思うようなリプを飛ばしている人がいる。
明らかな悪意や、相手を傷つける言葉。

私自身幼少期から両親に
「自分がされて嫌な事をするな」と言われ育った。
そのおかげか故意に相手を傷つけるような事は自身の記憶の中にはない。(100%ないとは言い切れないが)

少なくとも故意に他人を傷つける様な事は当たり前の様に避けている、気をつけているつもりだ。

では他人に対して故意に攻撃を、ましてや顔の見えない相手に対して悪意を向ける人は何故そんなことをするのか理解に苦しむ。
ただ「人の不幸は蜜の味」という言葉があるように
自分に無いものを持っている相手に対して嫉妬の感情が生まれると攻撃し不幸にしたくなるのだろうか?
不幸になれば自分が幸せになれるとで思っているのだろうか。
そんな考えをしか出来ないのはなんて可哀想な人なんだろうか。

自分の幸せは自分自身だけで出来ていると思っているのか。

介護の仕事をしているのだが、利用者も様々で
常に周りに感謝をしている人
常に周りに悪態ついてる人
どちらもいるが圧倒的に前者の方が幸せそうであるし
関わる人全てが良くしよう良くしようと接してくれる
それに比べて後者の人は
幸せそうに見えないうえに関わる人全て仕事だから上辺だけ、当たり障りなく、介助をこなすのみだ。

私はそんな人達を見て思うのは
人に惜しまれながら死んでいきたいと思う。

人生の最終章にわざわざ人に疎まれる様な事をするのは理解に苦しむ。
だが、そういう人達はそういう風にしか生きてこなかっただろうし、人の優しさに気付かず、人にも優しくする事も出来ずに可哀想な人なんだなと哀れんで接するしかないのだ。

そういう人達が来世では人の優しさを知り、人に優しさを与える人に生まれ変わるのを願うしかないのだ。

そう思って悪態つかれても優しくしておこうと思う。





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