『放課後カルテ第2話を学校教材として使用してもらいたい』と思った話
AEDは心臓を直接動かす機械ではない。
心臓が痙攣し、血液を送るポンプとしての機能を失った状態、いわゆる「心室細動」に対して電気ショックを与え、正常なリズムに戻すための医療機器だ。
2004年からは一般市民でも使えるようになったが、実際に使ったことがある人はどれほどいるだろうか。
いざその瞬間が訪れたら、冷静に操作できるだろうか。
『放課後カルテ』第2話を観たとき、これはただのドラマじゃない、教材にしてほしい、と強く思った。
~以下ネタバレ含みます~
小学校に赴任した牧野(松下洸平さん)が、生徒たちに向けて救命講習を行うが、みんなどこか上の空。
牧野の態度も悪く、特に転校生の冴島啓(岡本望来さん)は彼を嫌っていた。
そんな啓が、一人で学校から帰っている途中、神社で高齢の男性が倒れているのを発見する。
驚いて駆け寄るも、男性は意識がない。
慌ててスマホで救急車を呼ぶが、到着まで時間がかかると言われ、啓は「誰か!」と叫ぶが、周囲には誰もいない。
必死で牧野の授業を思い出そうとするが、何も思い出せない。だが、神社に設置されたAEDを見つける。
使い方がわからないまま、啓は牧野に電話をかけ、AEDの操作を指示してもらうことになる。
「無理!」と叫ぶ啓に、牧野は電話越しに「無理じゃない、お前がやるんだ!」と喝を入れる。
その瞬間、AEDの音声ガイドが流れ、言われた通りに動かそうとするが、手は震え、焦りが募る。
「電気ショックのボタン、押せない…」という啓に、牧野は「大丈夫だ、押せ!」と強く促す。
啓が震える指でボタンを押した瞬間、命のためのカウントダウンが始まった。
それでも、心臓マッサージのリズムは「1分間に100回」と言われても分からない。
「そんなの無理だ!」と泣き叫びながら、啓はただ必死にマッサージを続ける。
電話の向こうで牧野が「AEDの音に合わせて、頑張れ」と励ますシーンに、こちらも息を飲んだ。
画面の中の啓は一人で必死に戦っている。
その場の張り詰めた空気の中、どれだけの人が同じように冷静に動けるだろうか。
子どもたちがただ「見て学ぶ」だけでなく、いざという時の緊張感や怖さを想像させる、そんなリアリティがこのシーンには詰まっていた。
公式の情報によると、このシーンは約10分間にも及ぶワンカットの長回しで撮影されたそうだ。
実際にAEDを操作しながら、リアルな救命措置の場面を演じきったキャストとスタッフには頭が下がる思いだ。
このAEDの使い方のシーンは、ただ機械を操作するだけでなく、命を預かることの重さを視聴者に実感させるものだった。
『放課後カルテ』第2話を見終わって感じたのは、ただのAED講習では分からない「焦り」や「恐怖」がこの作品には詰まっているということだ。
意識確認、人員確保、119番通報、呼吸確認、AEDの準備と使用の一連の流れが、一つ一つ具体的に描かれている。
だが、それ以上に大切なのは、救命に取り組む者の気持ちの変化だ。
手順を覚えておけばいい、という単純な話ではない。
命と向き合うということ、そしてその時に感じるプレッシャーや不安を、これほどリアルに表現した作品は見たことがない。
啓が必死にAEDを操作し、音声指示に従って胸骨圧迫を行う姿に、こちらも心臓を握りしめられるような思いになった。
AEDは誰でも使えると言われているが、実際にその場に立たされたとき、どれだけの人が冷静に行動できるだろう。
子どもたちがこのシーンを見て、命を守ることの重大さを感じ取ってくれたら、どれほど意味があるだろうか。
この作品を作り上げたスタッフやキャストには、本当に感謝の気持ちしかない。
命の大切さ、そして救命措置の現実を伝えるという挑戦をしてくれた。その熱意が画面越しに伝わってきた。
こんなにも大切なことを、ただの説明ではなく感情に訴えかける形で届けてくれたことに、感謝しかない。
命を救うために何をするべきか、このドラマはその答えを教えてくれる。
そしてそれは、フィクションを超えて現実に役立つ「教科書」そのものだ。
このドラマを通じて、私たちが実際にAEDを使える自信を持ち、いざというときには躊躇せず行動できるようになることを願っている。
命を救うために、私たち一人ひとりが何をするべきかを、この作品は教えてくれる。
AEDの操作方法を覚えるだけでなく、救命措置に向き合う勇気を持つことが、何よりも大切だと強く感じる。
トップ画像:放課後カルテ【公式】日テレ土ドラ9 Xアカウント@houkagokartentv から