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ここにない誰かを思って

「ここにない誰かを思って」
すごい小説のようなテーマだが、小説を書こうとしているわけではない。
むしろ現実で起こる出来事について向き合ったりしている中で思うことだ。

あなたは誰かのことを思うだろうか?
基本的には、家族や友人、恋人、親戚の人などを思い浮かべるだろう。
しかし、世界には多くの人がいて、国や言語、宗教、思想、身体的特徴など違いは数えきれない。
時には自分には全くないような考えを持っているような人もいれば、似た考え方の人もいる。人が一生に出会うような人は限られている。だからこそ全人類のことを知るなどは無理なのかもしれない。
けれど、お互いが認知していなくても同じ世界に生きている。それを感じるのは、大震災が起こったり、災害などがあったときだ。突如の事故で、多くの人の命がなくなり、事故として社会では騒がれる。それと同時に当たり前にあるはずだった日常が奪われる者が大勢いる。
そこに当事者としているのであれば、より当事者として悲しい気持ちがあるだろう。
何が言いたいかというと、自分はそうした災害や震災などに関わった人たちのことを考え、心を寄せることができるのが人間の大きな力だと感じる。
幸運なことに、自分はこれまでそうした災害や地震などにより家族や友人などが不幸になったはないと思う。もちろん、当人のトラブルにより、少し事故り気味なことはなくもないが、少なくとも人命に関わることなどはない。

しかし、世間では日々誰かが生き、誰かが亡くなっていく。
自然災害や事件のようなものもそうだし、自殺により命を断つことなどもあるだろう。そこに至る全ての状況を把握できるとは思わないが、そこに至るまでに何があったかについては気になる。
以前紹介したナイトドクターという作品の中で、主人公が朝日を見せてあげたいんだよね。というシーンはとても印象深い。緊急で病院へ来る人を助ける仕事をしていると、助けられることもあるが、当然完全に命を救えることではない。そうなると、目の前で命が失われていく様子を見ることになる。
緊急医療の現場で、医師として働けば当然そういう状況なのは承知のことだろう。自分はそこから生きたくても生きられない人がいる。
そういう人がいることを知った。
桜庭のように生まれつき心臓が悪かったりする人もいるし、親が交通事故でなくなる人もいる。そうした状況の中でも強く生きている人がいる。
そうした人を想像した時に、なんだか不思議と自分も頑張らなきゃと思える。もちろん、状況によるし、怠けたり、だらけたくなる時もある。
けれど、ここにない誰かが、懸命に生きようといる瞬間に今の自分はこれでいいんだろうか。そう思わざるを得ない気持ちが湧いてくるのもまた事実だ。
人と関わるとどうしてもライトな会話や、楽しく笑えるような会話が印象がいいし、ストレスがない。けれど、少し重いかもしれないが、そうした感情や事実と向き合うこともまた大事なことだろうと思った。
映画が始まる前の広告に、「感動は壊れやすいから」という言葉を聞いたことがあるが、その通りだと思う。
感動もそうだし、悲しみというのもまた壊れやすい気がする。
たとえ、辛く泣きたい気持ちであっても、普段楽しく会話している友人が一緒にいればその気持ちを抑えて平然を装ってしまったりするだろう。

感動や悲しみ、それが深ければ深いほど一人で過ごし、その感情と向き合う必要がある。近頃、そのようなことを思ったので、このノートに言語化して残しておくことにした。

あなたはここにない誰かを思って生きてますか?

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