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解決策が無いこともある

学生時代、どう頑張っても怒られていた。

正解不正解で言うなら不正解の類なんだろう。怒られているし、誰も幸せにならない。うん、不正解と解釈して間違いはなさそう。



結果を出してしまえば、どんな個性でも魅力になるし、肯定される。
人のせいにしようが、100%他人のおかげだと思おうが、結果を出していれば悩まないだろう。この《結果》というのは、《大多数に認められること》だと思う。

世の中にはどれだけ頑張っても結果を出せない人が確実に、しかもかなりの数いる。
自分のせいにしようが周りのせいにしようが、現状が辛いことに変わりはないし、解決策はない。

環境要因も大きい。
紛争地域に生まれたとして、自分は何もしていない。ただその地域に存在しているだけだ。でもそこに砲弾が飛んできたり、テロ組織が攻めて来たりする。
生命すら脅かされるほどの損をしている。

もちろん自分に非は全くない。他責思考になるだろうし、事実自分の不幸はテロ組織が原因だろう。

しかし自分のせいにしようが他人のせいにしようが、どうにかしようとして宗教にすがろうが、現状は変わらない。
努力ではどうにも出来ないのだ。

まあ、引きこもってジブリでも観ていればいい。
現実逃避するしか正解がない人もいる。

大成しないのは努力不足ではなく、運がないからだ。この日本という国の人口は1億人以上だ。
その中で結果を出している人、自分の長所のみで食べている人は1万人にも満たないと思う。平凡な人間がいないと社会は回らないので、自分が頭角を現せないのは当然だ。

平凡になることがほとんど決まりきった人生であり、確実な安息をもたらしてくれるのだ。

平凡になれない人間はどうするか?
努力をするしかない。努力をして解決するしかない。
「解決出来ないのは努力が足りないからだ!」というのが世間の意見だろうが、努力ではどうにもできないことがあるし、努力才能援助支援自助公助自責他責というような選択肢を全部ひっくるめたとして、そもそも解決策が無いという事が世の中にはある。

それこそ上に書いた紛争地域の問題。
時事ネタだが、イスラエルパレスチナの問題は根深い。他国が介入しようにも、お互いに欲しい場所に代わりがないため譲歩できず、何千年も前から戦争が続いてきた。

当事者同士では解決が不可能…。
他国が介入しようにもどう解決していいかが分からない…。

解決策がない。詰んでいる状況なのだ。
イスラエル人とパレスチナ人が存在する限り、未来永劫この問題は終わらない。
ずっと解決出来ないままだ。

日本も例外ではない。北方領土や尖閣諸島、竹島の問題で未来永劫冷戦状態だろう。

国内でもブラック企業問題や誹謗中傷問題、イジメ問題や貧困の問題…そしてそこからくる自殺問題などだ。コロナの問題も解決したというよりかは、コロナ側が嵐のように過ぎ去ったというような感じだ。
人間同士の問題でなければ、解決策がどうのという議論にはならないようだ。
まあ確かに「雨が降るのは不快なので、雨を未来永劫止めるための対策をしましょう!」とはならない。
雨が降ったら傘をさすという行動をとるだけだ。これを解決策というのかは分からないが、どう頑張って傘をさしても下半身あたりは濡れてしまう。
それでも人間の力で自然をどうにかできる解決策があるのならやるのだろう。
上空で人工的なジェット気流を起こして、雲を払う…など。
いずれ出来るかもしれない。
そもそも自然現象は解決できない上にそこまで困らないと思っているから問題にならないだけで、科学技術で解決可能だったり、結構厄介だったりすると問題になる。

「冬ってこんなもんだよね。雪が降るよね」と当たり前に解釈しているが、「冬って強制的に春に出来るんだよね」となると、冬は問題になるのかもしれない。

少なくとも人間がいる場所には、必ず解決できない問題が付きまとうらしい。

前述した科学技術で自然現象を何とかできる、という世界になったとして「僕は寒いの嫌だから春にしたい!」という春好きがいたとしても人間の趣向は多様なので「いや、雪合戦したいから季節は変えないで欲しい!」という冬好き意見が出てくる。
これが人間の問題。

まあ多数派になるのだろうが。それでも冬好きからすると問題だ。それが「雪合戦ができない」程度の不満ならまだ納得出来るだろうが、除雪や雪像アートを生業としている人たちならば食いっぱぐれることになる。自分にとって不利益が大きいほど、譲歩出来なくなり、反発力も上がる。


「ここに新しい国作ろ〜ぜ」
「反対反対!」
イスラエルパレスチナ問題以外でも、大体賛成と反対で問題になっているが反対にも賛成にも譲歩できないそれ相応の理由があるのだ。

人権や自由がぶつかり合うので問題になるのだろう。

問題というのは主観だ。
思い通りにいっていないかどうかというだけだ。しかし規模が大きいと、それらの問題はいつまでも尾を引くことにもなる。

まあ、《生きれていればオールオッケー》の精神でやっていくのが大事なのだろう。

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