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愛の着地点

愛着って大事だ大事だって言われてきたけど、本当にそうだな、といまさら感じた話。

私と母の間の愛着は、いわゆる「健康」な形とは違うと言われている。実感は湧かないが。
愛着がなぜ大事なのかというと、心の「安全基地」が必要だからだ。あなたはあなたのままでいいんだよ、とその人自身をそのままで受け入れてくれる場所である。
私の母は、常に改善点を提示してきたように思う(思い返せば)。出来なくて困っている事があっても「こうすればいいんじゃん」「常識で考えなさい」と。
いや常識ってなんだよ、何万回もそれ言ってるけどそれじゃ伝わってないんだから二回目以降言っても一緒だろ。
まあとにかく、出来たことを肯定してもらったことは(記憶の中では)ほとんどなく、常に「出来ない事」を目の前に晒し出されていた。
なので、今でも自分は何も出来ないダメダメなやつだと思うし、何かできたとしてもそれは偶然だし、そんな自分を受け入れてくれる心の広大な人はいないと思っている。
もちろんそんなことはないのだろう。きっと。多分ね。ちょっとは色々な世界に触れてきたつもりだから、誰か受け入れてくれる人もいるのだろうと、頭で予測することはできるようになった。頭では。しかし、心では全くそんなふうに思えない。だってこんなに自堕落な生活をしてて、時間にもルーズで、センスもなくて、すぐ調子にのって、見た目もキモい、こんな奴好きな人いないでしょ、居たらそれはそれでヤバいやつだろ。
今の私の心はこう。

これもきっと、母親との愛着が関係しているんだろうな、と思う。
けど、母の育て方を全否定したいわけではなく、良かった点もいくつかあると思っている。
達成したい事があったら様々な方法を調べ上げて、何としてでも達成しようとする精神。あとお金を確保しなきゃという気概。料理の才能。それぐらいかな。

愛着の話に戻ると、愛着ってマリオのずっと乗ってたら落ちるやつみたいだと思う。友達とか恋人とかの愛が、ずっと乗ってたら落ちるやつ。陸地が親。やっとそこで休めると思ってもそこは下からトゲトゲが出てくる。だからずっと不安定でずっと飛んでなきゃいけない。
うーん何言ってんだか、全然分からん例だね。やめた。
とにかく、そうやって例える事で初めて、自分が置かれてる状況が分かりました。
これが分かったのは果たして良いことなのか、苦しい気もするし、分からないけど…「自分を知る」ことには近づいたよね。そう信じてます。

うーんもっとバチっと伝えられる語彙力が欲しい!!

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