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私が出来上がるまで(母との関係、父との関係)18

私は小さい頃から同年代の子たちより一回り大きい体格の子供でした。
生まれた時も少し大きめだったようですが、小学校入ってから背の順に並ばされる時は必ず後ろから2番目。
5月生まれなので、学年が上がるとすぐにみんなよりお姉さんになります。
なので、同学年の子達より少し大人びた感じがあったような気がします。

うちは高齢出産なので、私が小学校一年生の時は母はすでに43歳でした。
周りのお母さん方より10歳ほど上で、しかもあまりオシャレもしない人だったので、老けていました。
参観日は母が仕事前に来てくれたのでとてもワクワクして嬉しかったのを覚えています。
が、一度ショックなことがありました。
まだ小学校入りたての初めての参観の日。
友達に「ロコちゃんのお母さんどこ??」と聞かれて、指差しました。
すると、「わぁ、ロコちゃんちはおばあちゃんが来てくれてるのね。いいなぁ」と。
その子はとても優しい子で、わざと意地悪で言ったのではありません。
見たまま素直に出た言葉です。
母だとわかってめちゃくちゃ謝られました。
これが周りから見えた素直な感想です。
そのことにショックを受けました。
今まで家庭内だけだったのでわからなかったことが、学校という社会に出て、人と交わってわかることも増えました。

お母さんが働く家も当時は少なく、鍵っ子もあまりいなかったのですが、私は環境に順応しやすい方で、1人で家にいることを楽しんでいました。
お友達もすぐにでき、お家に遊びに行ったりもしましたが、私の家には親もいつもいないのもあり、呼んだことは殆どありません。
なので、お客様があまり来ない家でした。
父は戦争の事からアメリカが嫌いで外国の風習を真似ることを嫌っていました。
我が家にはクリスマスはありません。
「うちは無宗教だからやらない」と父が言ってました。
なんとも頭の硬い父です。
ただ、子供たちのことを思って、クリスマスケーキだけは毎年ホールで買ってくれました。

なんと、誕生日もうちはお祝いなどしたことがないのです。
おめでとうは言ってくれてたと思いますが、お祝いに何かすることは無かったです。
もちろんプレゼントなどありません。
それでもそれが生まれてからずっとなので当たり前でした。
寂しくもありません。
そのせいか、今も〇〇記念とかは全くやらず、主人も特にしない人なので、おめでとうというのみです。
そんな話をすると、「かわいそう」と言われました。
私たちの感覚はこれが当たり前なのです。
お祝いしてもらいたいのにしてもらえず寂しいわけではありません。
きっと世間とはズレているんだろうなと感じています。

それから我が家ではお小遣いもあるようなないような感じでした。
母はとにかくケチです。
父は気前がよかったのですが、基本家計は母に任せていたので、お小遣いは母からもらいます。
母はなんとかして小遣いをやりたくなかったのでしょう。
小遣いの日が近づくと、私が口答えとかすると「今月小遣い無し」と言います。
小遣いを餌に脅すのです。
今で言うパワハラです。

母の親戚一同そうですが、権力を持ちたがる人ばかりで、パワハラは当たり前の世界でした。
そんな中にいた母なので、パワハラするのも今ならわかる気がします。
とにかく子供は黙りなさい。
大人の言う事を無条件で聞きなさい。
子供は階級で言えば1番下なのです。

父は違います。
父は子供であろうと1人の人間として尊重してくれていました。
12歳で父とは死に別れていますが、父は子供の私にもそれを感じ取れるくらい、尊重してくれていました。
ただただ猫可愛がりではありません。
権力も父は持っていましたが、心の中はとても温かくて、私たちを最上の愛情で包んでくれていました。

母は子供とまともな会話をしたことがありません。
ただ自分の都合で命令するくらいしか会話の記憶がないくらい、コミュニケーションは取れていませんでした。
ある日、また何かで叱られて、「お父ちゃんに言ってやる。こっぴどく怒られるぞ」といつものように脅してきました。
父は温かいですが、躾は厳しかったのです。
いけないことをしたら叱ります。
が、その後しっかりと内容を説明してくれます。
けれど、怖い存在でもありました。
母は自分では子供に対して何故いけないのかと教えることはほぼ無く、いつも人を頼りに、誰かに言ってもらうと言う言い方をして逃げていました。

この日は私は特に母に反発をしていて、まだ小学校3年生が4年生くらいだったかと思います。
家出をすることにしました。
心配かけて、母に反省してもらいたかったのです。
テレビで見た真似事で、置き手紙をしました。
そして宛もなく家を出ました。
しかし、行くところがありません。
公園や近所をブラブラとしていたと思います。
お腹も空いて、疲れてきたので家に帰りました。
すると、うちのお向かいさんの玄関に父がいて、とても不安そうな顔をして立っているのが見えました。
我が家の大黒柱でなんでも知っていて、天皇陛下より偉い立派な父が、あんな弱々しい悲しい顔をしているのを初めて見たのです。

私はゲンコツでもされるかもとか、ものすごく叱られるかもとか、ふとよぎったのですが、父は私を見つけるなり、「どこ行ってたんや。心配したで」と。
近所のおばちゃんも「よかったねよかった」と。
父は私を抱きしめたかどうかは記憶にはありませんが、私を離さないと言うくらいの強い優しい愛を感じていました。
その後も私を叱ることはありませんでした。
私が家出した理由も聞かなかったです。
夜、私たちが寝静まったころ、一階で母が父に叱られてました。
「注意の仕方がいけない」と。

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