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友達の小さな思い出

■小学1,2年

小学1~2年の担任は日詰先生でした。写真は2年生の時のです。
最初の頃の机は上蓋がありました。宝箱のような感じで好きでした。

●逃げ出すK君

入学当時のK君は授業に馴染めず、逃げ出すことがありました。一度目は、みんなで探すと、教室の外の少し離れた木に登っていました。なかなか降りてきませんでしたが、僕は木に登れるK君が凄いと思っていました。2度目は教室を飛び出すと、学校正面の左先にある墓地の方に走っていきました。先生に「連れて来てくれるか?」と頼まれ、追いかけて行ったことがあります。

教室に納まっているのが嫌いなやんちゃな子でしたが、その2回以外に、K君が脱走したのは覚えていないから、きっと一緒に勉強したのでしょう。

●休み勝ちだったY君

Y君はしっかりした体つきをした小柄な子でした。家は織田商店の少し手前の通りの右側を入った所にあり、木造バラックと言う感じでした。

彼は休みが多かったので、先生から「朝、Y君の所に寄って誘ってきてくれないか?」と頼まれていたので、結構頻繁に誘いに行きました。Y君は登校拒否ではなく、家の仕事を手伝うなどの事情で行かせてもらえないことが多かったのです。

おじさんが出てきたら嫌だなーと思いながら「Y君、おはよう! 学校いこうー」と遠慮がちに声を掛けると、Y君が出てきて「行かれないんだ」と気まずそうな返事が返ってきました。僕に出来ることはそこ迄なので、「また明日来るねー」と言って別れました。誘って、一緒に行けたのは1度もなかったかも知れません。もし行けたなら、Y君の笑顔を覚えていると思うから…。

ある朝、誘いに行くと、軒先に大きな肉がぶら下がっていたので、「何の肉?」と聞くと「赤犬」と教えてくれました。僕は「そっか、Y君の所は犬の肉を食べるのか…」と思いましたが、それ以上の考えは持ちませんでした。家にはいろんな事情があるからね。どこの家にも。

またある時は、塀の傍にトドが繋がれていました。可愛い顔をしているので少し手を出すと、歯をむき出して唸り声を上げました。「やっぱし危ないや」。トドを手の届く距離で見たのはあれが最初で最後でした。


■小学3,4年

担任は海津良知先生でした。男前で痺れる声の持ち主でした。3,4年は旧校舎でした。

●Mさんが好き♡

4年の頃の思い出にフランク永井の歌を歌っていた自分の姿があります。

放課後、旧校舎の誰もいない廊下を、フランク永井の流行歌「好き好き好き」を口ずさんでいたことがあったのです。「♪すきー、好き好き、僕はMさんが好きー♪」と、繰り返しこの部分だけを。それが楽しい思い出として残っています。

Mさんは、ちょっとエキゾチックな雰囲気漂う可愛い人でした。因みに、他のブログで書いているMTさんではありません。許せ、僕の浮気心!(笑)


■小学5,6年

担任は名苗修治先生でした。クラスを6グループ位に分け、グループ内で教え合えるようにしていました。時には、他のグループの人を呼んで教えて貰うこともありました。この方法はすごく良かったと思っています。

●ファーストキス

5年の時だったと思います。休み時間が終わり教室に入ろうとするとS君が僕の名を呼んで駆けてきたので待っていると、僕のほっぺたに「チュッ」として教室に入っていきました。「なんで?」と思いましたが、それ以上追求はしませんでしたし、その後、二人ともそのことに触れることはありませんでした。

物心ついてからの最初のキスは男の子からでした。僕って男に好かれるタイプなの? まさか! それにしても、唇でなくて良かったです(大笑)。

●苗字が変わったH君

ある朝、先生がH君を教壇に上げ、こういいました。
「H君は今日からT君になります」
小柄なH君はペコリと頭を下げました。

親が離婚したのでしょう。新しい苗字が新しい父親のものか、それとも、母親の旧姓だったのか分かりません。家庭にはいろんな事情があり、彼の場合、それは少し悲しい事情だったかもしれません。何れにせよ、クラスメート同士に何も変わりありませんでした。


実は先日の夜中、眠ろうとしていると、突然HとTの苗字が頭に浮かんできたのです。かれこれ、もう40年以上完全に忘れていたのに。「もしかすると、H君(T君)が僕のことを思い出していたのかも知れないなー」そう思って、今回の「友達の小さな思い出」を書くことにしたのでした。

振り返ると、数えきれないほどの小さな思い出があります。


(まこと)


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