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日詰ようじ先生の思い出

小学1,2年の担任の先生です。当時のものが何も残っておらず不確かですが、お名前は「要治」と書いた気がします。

みんなに三点倒立をさせたり、机と机の間に二人掛けの椅子を渡して通らせたり、学期末の大掃除の窓ふきの時は、「せんせ、上(小窓)もやってもいい?」と聞くと、「危ないからやめなさい」とは言わず、「気を付けてな」とやらせてくれたので、新聞紙を掴んで、ガラス窓の中桟に上靴を掛けながら登り、開けた小窓に体を半分入れてガラス拭きしたものでした。今の親なら目くじらを立てそうですが、そうしたひとつひとつが、子供に自信を持たせてくれました。

■お誕生日会

日詰先生が
 ♪お山のおサルはまりが好き、
 ♪トントンまりつきゃ踊り出す、
 ♪ほんにおサルは道化もの♪
と、歌いながら踊ってくれてたことがあります。子供たちは大はしゃぎしながら、「ひづめ先生、ひづめだから、お馬パカパカ」と揶揄からかう程、みんな先生が大好きでした。

思い起こせば、この踊りも、三点倒立なども、きっと、お誕生日会の出来事だったのでしょう。

あるお誕生日会には、確か家がお店をしている生徒のお母さんが、全員分の「おはぎ」だったか「お稲荷さん」の差し入れをしてくれたことがあります。広げた風呂敷を見て、とても驚きました。家では誕生日を祝う習慣がなかったですし、しかも全員分だなんて!

■よだかの星

話は少し飛びますが、中1の時だったと思います。放課後に友達と二人で遊んでいると、いつの間にか外が暗くなりました。

「もう帰るべ」となった時、どこかでガラスが激しく割れる音がしました。二人で慌てて教室を飛び出すと、少し離れた廊下に、窓ガラスを突き破って倒れている鳥が。校内の明かりで窓ガラスに気づかなかったのでしょう。それは、褐色で見栄えのしない鳥、ヨタカでした。

すぐに友達が「俺が飼う」と言ったので、彼が持ち帰ったのですが、数日後に死んでしまったそうです。残念です。

本物のよだかを見たのはあの一度だけでしたが、「よだか」を知ったのは、ひづめ先生が「よだかの星」を読んでくれたからでした。先生が読むのを聞きながら、悲しくてしょうがなかった自分を思い出します。きっと、他の生徒たちも同じだったでしょう。今でも「よだかの星」の朗読を聞くたびに涙が流れます。そして、涙を拭きながら、よだかを初めて見た時の事と、大好きだった日詰先生を思い出します。

■いい先生は…

先生は、たしか、片肺を摘出していたと記憶しています。校舎裏の斜面に並ぶ教員住宅に遊びにいったこともありました。

小学校を卒業してから、いつ頃だったか忘れましたが、先生が転勤になった話を聞きました。それを教えてくれた人が、「いい先生は飛ばされるんだ」と寂しげに話しました。僕も「ほんとだ」と思いました。

■追記:先生の顔が!

(2023/06/06の追記です)
小学2年の時の写真に日詰先生の顔がほんの少し写っているので、追記して記録に残します! ほんの少しでも先生が写っていてとても嬉しいです!

この時の写真が2枚あるのですが、もしお金が掛かったら、僕は母に欲しいと言わなかったでしょうから、きっと頂いたものに違いありません。誰がどのような状況下で写して下さったのかまるで分りませんが、有難うございます!!!

小学2年(1957年)



(まこと)





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