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沼から出てもよいし

自分の過去を整理するために色々書いてみました。
まだまだ習慣になっている程でもないけれど、よく読んだら似たようなことを書いている気がします。
そして書けば書くほど姉がなくなったとき、母の病んだ姿、自分のふがいなさが思い出されどんどん心に固くて重いものが沈殿していく気がするようになってしまいました。

父に叱られたり、叩かれたりしていた母の姿。
向精神薬を服用し続けたあまり表情が乏しくなり言葉も不明瞭になってしまった姉のこと。
バカらしいと思いつつ、現場にいたわけでもないのに、姉が父に入院したいと訴えるために劇薬を服用して苦しむその姿を想像してしまい焦燥感に苛まれたり…。

うまくいかないときそんなことばかり思い出して無意識のうちに言い訳のようにそんな心理になっているのかもと思っています。
私の場合過去を整理するために書いているのにほじくりかえして結局あちこちに放置しているだけのような気がしています。

心のなかにいっぱいたまったゴロゴロした固い重いものを一つづつ取り出して自分の来た道においていくのが
なかなか私には大変な作業なんだなと思います。
だって「そこ」にいれば結構居心地がよく、エネルギー使って一歩ふみだすなんてしんどいことしなくてよいのだから。

すこし、「そこ」から離れて書いてみたらよいのかもしれません。

いや、べつに、書かなくても。




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