死とお隣。(2024 3月21日)
毎日続けるつもりの日記だったが、今日は少し更新しようか迷ってしまった。
一番信頼できる友人たちに監視を頼んでるのに、情けないよな。自分で決めたことなのに。
決意を曲げそうになったのは、書きたいことがありすぎてしまったこと。
今日の私。外出したんだ、駅まで。
そこで買い物したお店の男性店員が、ダブルでハゲメガネだったこととか、行ったことがないお店に行ったこととか。
当たり障りないことをいつも通り書こうとした。
でも私にとっての日記は、過去を思い出すだけでなく、自分と向き合う時間をとりたいと思って始めたことでもある(今までの記事からは信じられないかもしれないが)。
だから今日の更新は、将来についてのことにしようかと。
実は、今日は大学の合格発表日だった。
結果は不合格。まあ、共通テストが全然取れなかったしな。
母と兄は本気で前期試験も、後期試験も応援してくれてたけれど、私自身は記念受験みたいに感じていた。
二人には申し訳ないが、私は変に現実的なところがあるのだ。
でも、今日言いたいのは不合格のショックの慰安の話ではないんだ。普通に考えれば、落ちた人の方が多いしな。
私が恐れるのは、自分が防御手段として使っていた『学生』という言葉が使えなくなること。
もっと言えば、合格不合格に関わらず社会に出ることが間近に感じてしまうことだ。
私は社会性が欠如している人間だ。
注意力不足が10年以上治らないし、しょっちゅうものを失くすし、気遣いも苦手だ。
LINE一つ返すのに5分以上かけてしまうし、記憶力もかなり悪い。
はっきり言って、私という人間は『個性』という人類の厄介な成分が生み出した、社会における癌だ。
腐ったみかんよりはいいかもな。腐ったみかんは感染していくが、癌の影響は死体一つで済む。
つまり、私が嫌われるだけで済むってことだ。
将来に不安を感じたことなんて、18年生きてきて一度もなかった。
高校入試ですら、私はなんとなく成功してしまったくらいで、落ちた時なんて考えもしなかったし、高校で上手くやっていけるかなんて思いもよらなかった。
でも今はめちゃくちゃに不安だ。
ストレスを感じてしまっているのか、二万近い貯金は最近半分を使ってしまった。
それも服を大量に購入したり、軽食や飲み物を無駄に買ったり。
デートに行く相手がいないのに服を買って、食事が特別好きでもないのにカロリーだけを体に溜め込んで。
振り返って嫌になる。でもまた同じこと繰り返して。また過去の行動を思い出して。不安に不安を重ねる。
死刑囚が自らの刑が執行される日を待つかのように、私は最近怯え続けている。
避けようがないのに、意味もなく、孤独に、ずっと。
元々日記は一人で始めたのに、結局友人に監視を頼んだのは、もしかしたら私が生きていることを知って欲しかったのかも。
自己分析は逆上がりと同じくらい苦手なので、的確かどうかは分からないがな。
未来予知なんてできないから、まだ詳しくは言えないけれど。
今言えることは、
私は社会に不必要な人間であるということと、
このnoteの記事たちが、私の遺書になるかもしれないということだ。
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