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脱法ハーブが辞められなくなった

あれは高校一年生のころ、中学などろくすっぽ行ってなかったし、高校なんて行く気も無かったのだが、先輩にサッカー部に入らないかと言われ、中卒で土方やりながら生きてくんだろうなーって人生が、高校四年間もサッカーに捧げることになった。
なぜか不良なやつに限ってサッカーがうまいやつが多かった、みんな派手な髪型で、一見、サッカー部じゃなくてギャングの集団みたいだった。
少し話がそれた、友達に呼ばれ公園に行くと10人くらいで溜まっていた、なんか皆、すごい目が真赤でトロンとしている、明らかにキマってる状態だ、合法ハーブと呼ばれていて、それがまたとんでもなくキマる、いわゆる、ブットンでる状態だ、値段も3gで5000円程度で安価だ、屋上の階段や学校のトイレでもよく吸っていた。
シャブみたいなトビのネタ、マリファナみたいな飛び方、いろんな種類があり、常に刺激を求めてた俺たちは、頻繁に吸うようになった、俺はとことんハマり、完全に規制される20まで四年間とことん吸った。
話を進めよう。
その当時俺は毎日ハーブを吸うようになっていた、仕事中にはトイレで吸い、仕事終わりに家で吸う、楽しくて仕方なかった。
健康に悪いから何回か辞めようとも思ったけど、またすぐに買いに行き好きなだけ吸っていた。

そんな20の頃、いつも通り家でハーブを吸っていたら、幻聴が聴こえるようになった、いつも誰かが監視している、後ろの車が付いてくる、通行人が悪口を言ってくる、電磁波攻撃を受けていると思っている。
これはヤバいな、、病気かも知れないって思った。
だけど、依存してたから辞められなくなってブレーキが効かない状態になっていた、母親に病院に行きたいといい、そこで俺は統合失調症と診断された、まだ20の頃だ。
治らない病気と言われた時はとてもショックだったし、以前とくらべて性格が暗くなり廃人になっていた。
中身の人が変わってしまったのだ。
もう脱法ハーブも完全に規制され辞めたのだが、ODいわゆるオーバードーズ(過剰摂取)の後遺症で病気になってしまった。
幻聴が怖すぎて吃音症になってしまった。
今でも自分の名前を言うと聞き返される事が多い。
もしも、あの時にハーブが規制されずにやってたら死んでたかも知れない。
実際のところ小学生の頃から一緒に悪さばっかやってた芝田は統合失調症と鬱の併発で日常生活が送れなくなり、寝ている間に急性心不全で死んだ。
その報告を受けたとき凄く悲しかった、なんで死んじゃうんだよって、芝田もドラッグをやりすぎていたのだ。
俺も芝田もやりすぎたんだ。

もう一度言うけど、脱法ハーブもっとやってたら多分俺も死んでた。
今もこの世に残された俺には自分の人生をとことん真っ当する事なんて出来ないし、嫌な事も多いけど何とか生きてる。
それだけでも素晴らしいことだと言えるだろう。

サッカーの方はと言うと、高校一年生の頃と三年生の頃に全国定時制通信制の大会に出てて一年生の頃は全国3位になった。
よくマリファナ吸ってサッカーやったし、シャブの切れ目で試合に出たりしてクッタクタになったり、修学旅行で沖縄に行ったときはマリファナを持ち込んで、みんなでマリファナを吸って国際通りの方のクラブに行ったし、あのクソ暑い中なぜか芝田はジャージセットアップで汗だくだし。
ひめゆり部隊や戦争の話を聞かされた。
夜はみんなで散歩して裏路地でマリファナ炊いてて、足元見たらヤドカリがびっしり居てビビった。
今でも良い思い出なんだけど、ドラッグのやりすぎで10代の記憶がほとんどない、正直なところ良いことも、悪い事もたくさんあった。
俺らはフルスピードでその瞬間を生きていたし全力で今を楽しんでいた。
でも後先を考えて行動するのは皆、苦手だった。

授業が終わり休み時間になると自販機の前でタバコ休憩をとる。
そのあとになると先生たちがバケツを持ってきてタバコを拾う。
全日制からは煙たがられてたし、先生たちも全日制に迷惑をかけさせないように必死だった。
廊下をバイクで走り抜けたりしたし、芝田が先輩にジャイアントスイングされた事や。
みんなで友達んちに集まり、シャブ打ったりハーブ吸ったり、もうなんでもありだ。
まだ高校生だったけど居酒屋に行ったりクラブに行ったりしてとても楽しんでいたんじゃないかな。
俺の青春はドラッグとサッカー。
今となっては色褪せたその思い出は死ぬまで俺の中で生きてる。
隼人だって竜太君だって芝田の事だって忘れてない。

俺もいつかあの世に行くんだけど、同じ青春を過ごせた事は忘れない。

タバコ辞めれないみたいに、あの頃を思い出して少し笑顔になるのは、両方なにかの副作用があって、俺は今でも前に進めてないのかも知れない。

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