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「無知の知」は成長の素


いつの時代もそうですが、学び続けることは成長のために必須です!

その時に大切な心掛けの一つについて、少々述べてみたと思います。

今回言及する心掛けとは、ソクラテスが言ったとされる「無知の知」です。

この意識を持つことで、謙虚に貪欲に学び成長していくことができるようになります^^

きっかけ

私の出身学部学科を言うと・・・

「教育学部障害児教育教員養成課程聴覚障害児教育専攻」となります。

ながっ!

はい。長いです。

ここで聴覚障害児教育についてかなり実践的に学びました。

それは、ろう学校の教員になるためです。

しかし、そこには大きな壁がありました。

盲学校、ろう学校、養護学校(特別支援学校)に勤務するには、小学校、中学校、高等学校のいずれかの免許が必要になります。

(※なんと、自治体によっては、特別支援学校の免許は不要の所すらあるのです・・・)

私の大学の障害児教育教員養成課程は、「小免コース」「中免コース」を入学後に選べます。

小免コースは、小学校教員養成課程の授業を受けて、小学校の免許も取得します。

こちらは、障害児教育教員養成課程の学生も来る、とういうのは自明の理で、シラバスにもしっかりと記されています。

しかし、

中免コースになると、自分で免許を選べる代わりに、「講義をとれるかどうかは先生次第」という恐ろしい他流試合の様相だったのです!

私の同期は、社会、国語、英語、家庭科をとった人がいました。数学をとろうとした同期は、途中で断念しました・・・。

さて、私は国語の免許取得を目指しました。

そうすると、小学校教員養成課程国語専修の学生と中学校教員養成課程国語科の学生と一緒に授業を受けるわけです。

そこで、大きな挫折を味わうことになりました。

光源氏は「光GENNJI」だ!

私は高校生まで読書をするタイプではありませんでした。

浪人時代に、ようやく読書を始めました。

「っていうか、勉強しろよ!」と思いつつ、当時は、くらーい小説にはまっていましたね^^、

さて、読書をするようになったといっても古典文学等には興味はわきませんでした。

そのようなレベルの私が、国語に愛を感じている国語科の皆様と同じ授業を受ける・・・

しかも講義だけではなく、演習科目も。

これは、もうビビりました。

私の大学の国語科は自主ゼミが盛んで、授業とは関係ないところで、テーマを決めて文学や国語教育について、1年次から論じ合っていたのです!

例えば、「万葉ゼミ」、「中世文学ゼミ」・・・

「なんじゃ、そりゃ!蝉の一種か?」と馬鹿な突っ込みを入れるレベルの私。

そんな私が国語教育のエキスパートを目指す方々と演習科目・・・。

「やばい。やばすぎる!」

とは言っても逃げられるはずもなく、頑張りました。

努力しました。

かなり!

専門の聴覚障害児教育よりも時間を割いた時期がありました。図書館で。

泣きそうでした^^、

ちなみに、とある演習科目で『源氏物語』をやることになりました。

これが最も辛かったです。

私にとっては、『源氏物語』の主人公である光源氏を、音で聞くと「光GENNJI」を連想してしまうのですから。これ、本当の話です。
(※「光GENJI」とはジャニーズのグループです。80年代を席捲しました・・・)

このような状態だったので、私は「自分はこの集団の中で最もできない学生だ」というのを実感し、謙虚かつ貪欲に努力して学ぼうという意識をもつことができました。

念願のろう学校で勤務したとしても、授業は国語を教えるわけですので。

手話を使って分かり易く授業をするためには、頭の中では、完璧にストーリーや関係図が出来上がっている必要があります。

恥も何もかも捨てて、国語科担当のお偉い先生方に質問しまくって、何とか授業についていき「文学って面白い!」「国語科教育は深い!」と思えるようにまでなりました。

教師として常にアップデートを

教師になってから、肢体不自由養護学校(当時)、ろう学校、病弱特別支援学校に勤務しました。

長崎と東京で正規16年間勤務しました。

ここでも「自分は国語は専門ではないので、常に学び続ける」という意識のもと、書籍で学び、セミナー受講のために全国に飛びました。

受講生を装い、予備校の夏期講習も受けて、うまい教え方を学びました。

(※ちなみに、その後、最後の勤務校となったろう学校にいた時、教師対象の予備校での研修会への参加募集があったのです。各教科一人ずつ。そんな時に限って、日頃何にもしない人が手を挙げる。そんなものだ。無料で学べるし。しかし、私は身銭を切り続けたからこそ、目玉に炎を灯して努力できたのだと思っています!)

全ての学校で、教科指導を行いました。

ろう学校では、受験指導において、一般入試対策では大学受験問題の指導、AO、推薦入試では小論文指導も補習として担いました。

全ての質問に答えられるように、必死に予習!

授業準備とは別に予習!

大変だったけど、充実していましたねぇ。

教師の仕事は生徒の自己実現のお手伝い。

そこで、最高のパフォーマンスを出せるように、最大限の準備が必要になるのだと思います。

私の場合は、「国語が専門ではない」という、怖ろしいまでのこだわりから「無知の知:自分は国語についてまだまだ勉強が足りない」という意識をもつことにつながりました。

それを日々の授業、補習等に生かして、生徒に還元できたので本望です。

在り方の一つ

恐らくですが、大学時代、適当に国語関係の授業を受けても、単位は取得できたと思います。

また、教師としても指導書をお供にして、それなりに授業をしていてもこなすことはできたと思います。

しかし、それでは責任を果たしたことにならないと思ったのです。

教師になるのであれば、

また、教師になったのであれば、

プロの自覚をもって生徒の前に立つ準備が不可欠です。

プロとは、日々成長を目指し、最高のものを対象に提示していくことが大切だと、個人的には思います。

教師の場合、授業で勝負する。

その授業がいい加減であれば、また、アップデートされていなければ、それは恥ずかしいことだと自分に言い聞かせました。

その中で、「無知の知」が役立ったということです^^

これは、一つの在り方に過ぎません。

私、平田はこのように考えて「無知の知」を大切にした、というお話でした。

教育は終わりのない確固たる道なき旅路である・・・

なんてことも思いつつ、自分を奮い立たせるのもよいものですよ^^





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