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水に浮かぶ②

 しーちゃんは、よしじゃあ水着買いにいこう、と言って立ちあがる。そのときに、しーちゃんの服についたかみが床にぱらぱら落ちていく。床をよくみると、数はおおくないけれど切られたかみがそこら中に散らばっている。そのひとつが鼻にはいったのか、むずむずしてきてくしゃみがでた。多分そのくしゃみで、ごみと化したかみがさっと動いた。
 しーちゃんは掃除機持ってきて、それらを一気に吸いあげる。みていると、掃除機が通ったあとの床からはかみの毛が消えていく。掃除機でも吸いこめないやつは一旦おいといて、次は粘着性あるころころでまずは服にまだついている細かいかみを取って、それから床もころころして、ようし、準備完了、としーちゃんは声をもらした。
 部屋をでると、夏の強いひざしがようしゃなく街を照らしていて、マンションのエントランスからでると待ってましたと言わんばかりにわたしたちにも強い光を浴びさせてきて、抗うように日傘をさすとだいぶ楽になる。光と暑さのふたつから逃れることができる。しーちゃんも同じように日傘で太陽の光から逃げていて、まっしろな肌が傘のつくりだす影のしたで光ってるみたいに浮きでていた。
 十歩歩くと汗がじわ、また十歩歩くと汗がじわ、鼻の頭にぽつぽつ汗が浮きでているのを感じる。鼻に触ると汗が指につく。すれ違う人で傘をさしてるのは一割くらい、ほかの九割の人はじかに光を浴びていて、暑くないのかな、肌傷めつけないのかな、とこちらが心配してしまう。実際、すこしだけ腕を太陽光にあててみたら、暑さを通りこしてもはや痛かった。無数の針を一気に腕にさしたみたいだった。
 十分くらい歩いてからしーちゃんみると、顔にハンカチをあてて汗を吸収していた。
「いや、本当暑いね。夏通りこしてるってかんじ」
「明日大丈夫かな? この暑さじゃ厳しいかも」
「明日はましになるって、朝の天気予報で言ってたよ」
 そういえば、そんなこと言ってたかなあ、と、気象予報士が言っていたことを思いだす。今日は猛暑日、明日は猛暑日ではない。だから、今日は気をつけましょう、と。
「夏だからって、暑くなりすぎだよね」
 しーちゃんは、手を扇いですこしばかりの風を顔に送ろうとしているけれど、わたしも実際に同じことをやってみると、生ぬるい風がくるばかりでぜんぜん涼しさを手にいれられなかった。むしろ、生ぬるさで不快すら感じるほどだった。
 途中にあるコンビニによって、冷たい麦茶を買った。しーちゃんの服が汗でぬれているのが目にはいってきたから、自分の服をみてみるとやっぱり同じように汗をかいた部分が濃くなっていた。服にとられてしまったぶんの汗を麦茶で補給する。ペットボトルを頬にあてて冷たさを感じる。あーあつい。しーちゃんの声が、熱気のなかで響いている。
 なるべく建物でできた影のしたを選んで、マンションから三十分くらい歩いたところで駅前のビル群に辿りついた。
 なんでもある、だけど、なんにもない。
 とわたしはいつも思う。なんでもあるんだけど、結局ほしいものは手にはいらない。いろんなものがごちゃごちゃっておいてあるんだけど、それらは所詮オブジェにすぎない。日常生活では必要としないオブジェにうもれている、そんな街。でも、だからこそ人が集まってくる。
 非日常をもとめて、それか、日常のなかのちょっとした“非”をもとめて。
「水着は、スポーツ店かな?」
 しーちゃんは古風にあごに手をあてて唇とがらせて話す。
「そこが一番ありそうだよね」
「んじゃ、そこ目指していこ」
 今歩いてきた通りに比べると、人がいっきにおおくなる。熱気もそれにともなって強くなる。むわん、むわん。夏の不快な湿気が肌にまとわりつく。
 暑さからくる熱気と、人がつくりだす熱気がまざりあって、多分気象予報士が言っていた気温よりも三度は高い。
 それにさっきまではなかったいろんな人のなれない匂いも暑さに加わって、脳がぐちゃぐちゃに搔きまぜられそうだと思った。
 しーちゃんはまるで人がいないようになめらかに歩いている。というよりもはや、周囲の人がわざわざしーちゃんのために道をあけているようにみえる。しかも、ちゃんと影のあるところを選んで。だから、その恩恵にあずかろう思ってしーちゃんのうしろを同じように歩こうとするのに、しーちゃんがいなくなった瞬間道が消えてしまうから、金魚が水のなかすいすいおよいでいるように歩くことができない。
 誰かのあしを踏んでしまったけれど、人がおおいのと歩くのがはやいので謝るタイミングを逃してしまう。それに、みんないちいち踏まれたことを気にしてない、多分もう、わたしがあしを踏んでしまった人は遠くにいってしまった、そんな街を不思議だな、と思う。
 なかなか都会の道を攻略できないわたしのことを、しーちゃんはいつだって待っていてくれる。
「もうすぐだよ」
 しーちゃんの声が耳にはいるとあんしんする。都会の道にさく、ピンク色の花をみつけたときみたいに。
「だね」
 数分歩いたところでようやく目の前にスポーツ店があらわれて、店内にはいると冷気が肌にいきおいよくおそいかかってきた。さっきのコンビニのときよりもからだが熱せられているぶん、気温差をより強く感じる。
「寒い、今度は寒い」
 背筋がぶるっとふるえる。肌にぼつぼつ浮かんでくる。
「冬だね。外は真夏でなかは真冬」
 しーちゃんは腕をさすって、水着はどこかなあ、言いながら店内まわる。そんなとき、たんっ、たんたんたん、たんっ、たんたんってなじみの深い音が聞こえてきて、「ごめん」って言いながらしーちゃんは電話にでる。一週間に一度くらいこの着信音をきくけれど、しーちゃんはそのときなにをしていても絶対電話にでる。
 しーちゃんが電話している間、店内をみわたす。ふだん運動なんてぜんぜんしないから、スポーツ店なんてところにはほとんどくることなくて、アディダスとかプーマのロゴみると自分がここからすごく遠いところに存在している感覚になる。運動をちゃんとしたのなんて、高校の体育いらいで、もう五年も前のはなしだ。その体育ですら、はあはあはあ、ちょっとした運動ではあはあはあ、体力ないな自分て、と考えながら、がんばってみんなに合わせていた。体育が終わると、すぐに椅子に吸いよせられていた。
 
店内みてみると、いかにもふだんから運動していそうな、からだのあつみがすごい人たちがどんどんとおくにはいっていく。この店の雰囲気にマッチしている。自分は……と思って服装みると、いかにもインドアの、運動とはむえんの人間。スポーツ店に抗いたくないのに、無意識で抗っているようにみえた。
 一分くらいたつと電話を終えたしーちゃんが隣にきて
「ごめん、彼のところにいかなくちゃ。タイミングわるすぎだよね」
 と顔の前で手合わせて、本当にもうしわけない顔して腰まげる。しーちゃんの頭のてっぺんが目の前にあらわれる。その頭にすこしだけ近づいたとき、しーちゃんが上半身いきおいよく起こしてきて、わたしのあごと、しーちゃんの頭がこんって音鳴らしてぶつかる。

つづく

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