普通の道を外れても 桔梗

思い描く普通を外れた2023.9

皆さんは、普通と聞いてどのような言葉を思い浮かべるでしょうか?
健康でしょうか。学校に毎日通って卒業することでしょうか。体が動くことでしょうか。勉強ができることでしょうか。
普通という言葉は、とても簡単で難しい。
今回は、ここに例示したすべての「普通」に当てはまらなかった僕たちが、普通の道を外れても生きていていいと思えるようになるまでのお話です。

自分の思う普通ではなくなるのは、緩やかな坂を下るかのようだった。

それは、緩やかに始まった。

中学生のころ、いじめられた。沢山たくさん、悩んで苦しんでもがいていたとき、支えてくれたのは搔き壊しという決して健康的とは言えないものだった。このころから、不健康であった。夏だから、すぐに腕にできた大量の直線の瘡蓋はすぐにバレた。小児科に連れて行かれ、そこで自分は障害者だと分かった。しかし、告知を受けるのはもう少し先の話だ。
だが、僕たちはそこで初めて信頼できる大人という大きな出会いを得た。
高校生、初めていじめられなかった。だが、友人らとの趣味が合わず、ずっと1人で浮いていたような感覚だった。自分で腕を切り、それでも友人の手当てばかりしていた。自分を大切にできないという点で、最早普通とはかけ離れていたのだが。

普通ではなくなった中で生き延びて

希死念慮が抑えられずに精神科に初めてかかった時のことだ。普通ではなくなってしまったとその時、はじめて思った。
精神科、麻酔科、心理、小児科を掛け持ちしてなんとか第一志望に受かった。
本当に本当に嬉しかった。今でも、合格の文字がスマホに出た時のことを覚えているほどに。
しかし、この大学にまともに通えたのは一年次のみ。あとは復学と休学を繰り返し、その間にドンドンとズブズブとオーバードーズにハマっていった。
救急搬送や深夜徘徊で警察で保護を受けたこともある。それくらい、僕の思い描く「普通」とは違う生活になっていった。

自殺企図、入院の中で

自殺企図を2度、いや、溺水を試みたことを含めれば5度起こした。そのうち初めの方の2回では昏迷状態という意識レベルがかなり低いところまで行ったようだ。
僕たちは、入院の中で、さまざまな方と出会い、普通の概念が少しだけ変わった。また、今回、原因はわからないものの、1ヶ月半ほど足が動かなくなり、車椅子を購入するに至った。
普通とはどんどんかけ離れて、高校のころのクラスメートはキラキラほうへ登っていると思ったら苦しくなることも多々あった。
だが、それでも、普通の道を外れても、生きていていいと思える出来事は、とてもとてもシンプルなものだった。

シンプル、だからこそ、人間に必要なもの

ひとつは、一つは、「気軽にリプライなどで関われるネッ友などの浅くゆるい関係の友人」の存在だ。ゆるゆるとした繋がりだけれど、共通点があれば、お互いがお互いを心配し合い、ゆるゆるとした相互自助の関係になり得るためだ。
もうひとつは、「自分のことを大切に思ってくれる人」の存在だ。僕たちなら、頻回に電話をする遠くにいる友人たち。自殺企図でも何があっても、見捨てることなく親友としていてくれること。とてもとても、大切だけれど、だからこそ得るのは難しい。だからまずは、ゆるゆるとしたつながりを持つことを薦めたい。ゆるゆるとした繋がりは、時に確かに自分を大切にするきっかけを与えてくれる。そして、親友たちに過度の負担をかけることなく、お互いを気遣うことも思い出させてくれる。

人は、1人ではない

1人だと思うこともあるだろう。誰にも理解されない、孤独、不安、恐怖。
だが、ひとは連続したつながりを持って生きている。そのつながりの中に、たった1人でも、大事なひとがいれば、それだけで、生きる希望になる。目的になる。
たとえ普通の道を外れても、いや、外れた歩きにくい道を一緒に歩いてくれる伴走者を見つけるのだ。
その伴走者は、先ほど述べたように、多ければ多いほど、伴走者への負担が減って良いだろう。

終わりに

今までの経験から、人を信じることが怖い人も多いだろうが、伴走者とともになら生きていけるのではないだろうか。
ここに、n=1だが、伴走者とともに生きている者がいる。
伴走者は、僕たちにとって生きる糧だ。

以上、普通の道を外れても一緒に歩んでくれる伴走者の方達と生きている者の話。
この記事を読んでくださった皆様が、自分の伴走者を見つけて、生きながらえられることを願って。

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